# 沖縄戦の戦争遺跡一覧 > Generated by All in One SEO v5.0.2, this is an llms.txt file, used by LLMs to index the site. 沖縄戦の戦争遺跡を投稿形式で紹介しております。 ## Sitemaps - [XML Sitemap](https://sensekisyokai.com/sitemap.xml): Contains all public & indexable URLs for this website. ## 投稿 - [戦争遺跡一覧](https://sensekisyokai.com/blog/) - [「一中健児の塔」那覇市金城町の戦争遺跡 戦死した学徒兵を祀る慰霊塔](https://sensekisyokai.com/senseki/1162/): 沖縄戦は学生達も戦場で戦い、そして多くの学生が命を落としました。沖縄県立第一中学校(現在の首里高校)の学生12歳から17歳は軍に動員され、従軍し290名の生徒が亡くなりました。秀才が集まる第一中学校の生徒はどのように戦争に動員され、どのような思いで戦ったのでしょうか。 - [「ひめゆりの塔」と「伊原第三外科壕」 糸満市伊原の戦争遺跡 ひめゆり学徒隊とは?沖縄戦での行動やその後をわかりやすく解説](https://sensekisyokai.com/senseki/2115/): 沖縄戦時、9つの女子学徒隊が結成され、従軍しました。その中の1つが戦後テレビや映画で題材になり有名になった「ひめゆり学徒隊」です。実際「ひめゆり学徒隊」の名前を聞いたことある方も多いはずです。今回は彼女たちの証言や資料から「ひめゆり学徒隊」そして、数多く亡くなった「伊原第三外科壕」についてわかりやすく解説します。 - [「嘉数高地(嘉数高台公園)」宜野湾市嘉数の戦争遺跡 「嘉数の戦い」が行われた激戦地](https://sensekisyokai.com/senseki/450/): 「いまいましい丘」とアメリカ軍に呼ばれた沖縄戦の激戦地嘉数高地。普天間基地の直ぐ南側、宜野湾市嘉数には非常に見晴らしの良い高台があります。 日本軍の司令部がある首里への南下を防ぐため、いくつもの固い陣地を嘉数に築いていました。双方の思惑が互いにぶつかり、この場所で双方の主力が初めて激突し沖縄戦屈指の激戦となりました。 - [「米軍上陸地モニュメント」北谷町砂辺の戦争遺跡 沖縄戦におけるアメリカ軍上陸の地 ](https://sensekisyokai.com/senseki/119/): 1945年4月1日アメリカ軍は1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員をもって来襲。 そのうち約20万人の兵力で沖縄本島へ上陸を開始。 この北谷町の海岸にも多数のアメリカ軍が上陸しました。戦艦や多数の船で海面が黒く覆われていたようです。今回はアメリカ軍上陸の地にたつ「アメリカ軍上陸地モニュメント」を紹介します。 - [「米軍上陸の地の碑」読谷村渡具知の戦争遺跡 アメリカ軍が上陸した場所に建つ上陸の碑](https://sensekisyokai.com/senseki/254/): アメリカ軍は本島中部現在の北谷町や読谷村の海岸付近から上陸をしました。その日のうちにアメリカ軍は6万人の上陸を完遂します。本島中部東海岸にはいくつか「アメリカ軍上陸のモニュメント」があります。今回はその一つである、読谷村泊城公園内「アメリカ軍上陸地モニュメント」を紹介します。 - [「チビチリガマ」読谷村波平の戦争遺跡 多くの住民が集団自決したガマ](https://sensekisyokai.com/senseki/288/): 読谷村にある「チビチリガマ」。「ガマ」とは沖縄で多く見られる石灰岩で形成された自然洞窟です。沖縄戦時「ガマ」は住民の避難場所として利用されていました。しかしこの「チビチリガマ」で住民の集団自決が起きました。なぜ安全に避難し「ガマ」で住民の集団自決が起きたのか?本記事で悲劇のガマ「チビチリガマ」を紹介します。 - [「シムクガマ」読谷村波平の戦争遺跡 多くの住民の命が救われた全長2キロに及ぶガマ](https://sensekisyokai.com/senseki/293/): 沖縄県中部読谷村。「チビチリガマ」から直線で1キロほどに多くの避難民が逃げ、生き延びた壕があります。その名も「シムクガマ」。何故「シムクガマ」では「チビチリガマ」とは違い、多くの避難民が生き延びる事ができたのか。今回は「シムクガマ」を紹介します。 - [「掩体壕」と「北飛行場」読谷村座喜味の戦争遺跡 沖縄戦当時県内最大の飛行場だった場所に残る掩体壕](https://sensekisyokai.com/senseki/366/): 沖縄戦当時「北飛行場」と言われたこの飛行場は、2000メートルの滑走路2本擁する県内最大の飛行場でした。建設は戦時中の昭和18年。住民の土地が軍に接収されました。多いときには軍人・民間人合わせて1日7000人も動員され、1年がかりで建設されたとのことです。今回は「北飛行場」と「掩体壕」を紹介します。 - [「義烈空挺隊玉砕の碑」読谷村座喜味の戦争遺跡 強行着陸した義烈空挺隊の碑](https://sensekisyokai.com/senseki/374/): 強行着陸した義烈空挺隊「義烈空挺隊玉砕の碑」。アメリカ軍だらけで四面楚歌の中、滑走路に強行着陸した「義烈空挺隊」。今回は「義烈空挺隊」が玉砕した場所に建てられた「義烈空挺隊玉砕之地の碑」を紹介します。 - [「戦闘指揮所」中城村北上原の戦争遺跡 眼下に中城湾が広がる陣地跡](https://sensekisyokai.com/senseki/378/): 沖縄本島東、中城村北上原にある消防学校の裏手の山一帯は、かつて161.8高地と呼ばれた陣地がありました。「161.8高地」周辺は高台が広がっており、いたる所から本島東海岸の中城湾が見渡せます。このあたりは沖縄戦当時、日本軍の防衛拠点で陣地がおかれていました。今回はその中の1つ「戦闘指揮所」を紹介します。 - [「旧西原村役場壕」西原町翁長の戦争遺跡 沖縄戦時、壕の中にあった役場壕](https://sensekisyokai.com/senseki/411/): 戦時中、重要書類を補完するために、県庁や市町村役場も壕の中にありました。「旧西原村役場壕」もその1つです。戦時中、壕の中にありながら、実際役場はどのように機能していたのでしょうか?本記事では西原町にある「旧西原村役場壕」を例に戦時中の役場業務について紹介します。 - [「旧西原村役場壕」西原町翁長の戦争遺跡 沖縄戦時、壕の中にあった役場壕](https://sensekisyokai.com/senseki/411/): 戦時中、重要書類を補完するために、県庁や市町村役場も壕の中にありました。「旧西原村役場壕」もその1つです。戦時中、壕の中にありながら、実際役場はどのように機能していたのでしょうか?本記事では西原町にある「旧西原村役場壕」を例に戦時中の役場業務について紹介します。 - [「石塀の弾痕」西原町小波津の戦争遺跡 民家にも残る沖縄戦の爪痕](https://sensekisyokai.com/senseki/441/): 西原町小波津「石塀の弾痕」は、民家の石塀に沖縄戦当時の激しい弾痕が残っています。 石塀の横に説明文がありますが、当時この民家に日本軍の宿舎が置かれていました。沖縄戦が始まると、東海岸の西原町も激しい戦火にみまわれました。 今回は民家に残る沖縄戦の戦跡を紹介します。 - [「前田高地」 浦添市前田の戦争遺跡 映画「ハクソー・リッジ」の舞台となった激戦の場所](https://sensekisyokai.com/senseki/460/): メルギブソン監督の戦争映画、「ハクソー・リッジ(2017年公開)」の舞台となった浦添市にある「前田高地」。 首里の周辺には、いくつもの高台や急峻な崖があり、天然の要塞でした。「前田高地」はモノレール浦添前田駅の裏にある高台で、琉球王朝時代に浦添城がありました。ここでは沖縄戦屈指の激戦となりました。 - [「シュガーローフヒル」那覇市おもろまちの戦争遺跡 都会の真ん中にあるシュガーローフの戦いの跡](https://sensekisyokai.com/senseki/466/): 「シュガーローフの戦い」は沖縄戦最大級の激戦と言われています。なぜならわずか1週間で11回も陣地の奪い合いが行われ、米軍も甚大な損害を受けたからです。現在大きく街が変貌した那覇市おもろまちに残るシュガーローフの丘跡を現地写真とともにわかりやすく解説します。 - [「運玉森」与那原町・西原町の戦争遺跡 100万ドルの山と言われた激戦地](https://sensekisyokai.com/senseki/474/): 那覇から車で30分。沖縄本島の東側与那原町と西原町の境にある小高い丘「運玉森」「ウンタマムイ」と呼びます。沖縄の方言で森は「ムイ」と呼れ、地形が高くなっている場所を表す言葉です。与那原や西原のどこからでも見えるこの丘も戦場になりました。今回は綺麗な丘「運玉森」を紹介します。 - [「第32軍司令部壕跡」那覇市首里の戦争遺跡 首里城に置かれた日本軍の司令部壕](https://sensekisyokai.com/senseki/481/): 那覇市首里 首里城に置かれた日本軍の司令部「第32軍司令部壕跡」 沖縄戦当時、首里城地下には日本軍の司令部がありました。 沖縄戦当時、首里城の地下に豪を掘り司令部としていた日本軍は、ここから沖縄戦全体の指揮をとっていました。いわば日本軍沖縄守備隊の中枢にあたります。今回はこの第32軍の司令部跡を紹介します。 - [「旧海軍司令部壕」 豊見城市豊見城の戦争遺跡 海軍司令部が入っていた人工の壕](https://sensekisyokai.com/senseki/494/): 海軍根拠地隊(海軍の地上部隊)が陸軍の第32軍の部隊の一部となっており、小禄半島周辺(現在の那覇空港)に展開しておりました。今回は沖縄に展開していた海軍の記事です。 - [「沖縄陸軍病院蝿南風原壕」南風原町喜屋武の戦争遺跡 日常的に麻酔なしの手術が行われた病院壕](https://sensekisyokai.com/senseki/920/): 壕(ガマ)の中には国や行政が管理し、現在でも保存状態が良く入れる壕やガマがいくつかあります。その中の1つ、「沖縄陸軍南風原病院壕」は戦跡として初めて町の文化財に指定されました。今回「沖縄陸軍南風原病院壕」はどのような壕なのでか紹介致します。 - [「津嘉山壕」南風原町津嘉山の戦争遺跡 首里に移転する前の第32軍司令部があった壕](https://sensekisyokai.com/senseki/900/): 本島中部の南風原町には、丘がたくさんあり、起伏のとんだ町です。沖縄戦開戦前に、丘を利用し、無数の壕が存在していました。実は「第32軍司令部「 」が置かれたのは南風原町の津嘉山ある丘にでした。今回は津嘉山かつて存在した「第32軍司令部」跡を紹介します。 - [「巌部隊司令部壕」那覇市田原の戦争遺跡 住宅街の公園内にある海軍壕](https://sensekisyokai.com/senseki/963/): 那覇空港からモノレールで2駅にある小禄駅。そんな小禄駅から徒歩7分にあるのが、「巌司令部壕」です。壕内部の延長は350メートル。司令部・兵員室・暗号室などがもう設けられておりました。坑口は8か所あったと言われ、中は坑道が複雑に作られておりました。この地での海軍の戦いとあわせて、「巌司令部壕」を紹介します。 - [「シッポウジヌガマ」那覇市真地の戦争遺跡 県の行政機能が入っていた県庁壕](https://sensekisyokai.com/senseki/1035/): 戦時中、県庁などは機能していたのでしょうか?沖縄戦当時、県庁などの行政機関は壕の中にありました。知事や警察の行政は壕の中で指揮をとっていたのです。今回は知事や警察の壕があった、識名霊園内にある「シッポウジヌガマ」を紹介します。 - [「弁々岳通信所」那覇市首里鳥堀町の戦争遺跡 神聖な「弁々岳」にひっそりと残る沖縄戦の戦跡](https://sensekisyokai.com/senseki/1060/): 首里城近くの「弁々岳」は那覇市の中で一番標高の高い場所にあります。一体は琉球王朝時代からの聖地で、今でも多くの礼拝所があります。沖縄戦当時、ここには通信所がありました。また首里の司令部に近いということもあり、激戦となりました。今回は首里城近くにある戦跡「弁々岳通信所」を紹介します。 - [「楚辺の陣地壕」那覇市楚辺の戦争遺跡 那覇中心に残る戦跡](https://sensekisyokai.com/senseki/1100/): 沖縄県庁や那覇市役所、大型デパート「りうぼう」がある、那覇の中心部の一角にも沖縄戦の戦跡が残っています。県庁や市役所から車でおよそ5分。賑やかな国際通りとは反対側にあり、細い路地の住宅街が広がっている那覇市楚辺の一角、城岳(グスクダケ)公園内に「楚辺の陣地壕」の跡があります。 - [「バックナー中将戦死之跡」糸満市真栄里の戦争遺跡 アメリカ軍司令官戦死の地](https://sensekisyokai.com/senseki/1210/): 日本軍の首里撤退で、「戦争は終わった」と楽観視していたアメリカ軍は南部撤退をした日本軍を制圧するため、損害も増えていき、何とアメリカ軍のトップの司令官が戦死するという、異常事態がおきます。今回は南部の激しい戦いで戦死したアメリカ軍司令官、バックナー中将の慰霊碑を紹介します。 - [「山形の塔」糸満市真栄里の戦争遺跡 山形県が建立した第二次世界対戦の戦死者を祀る慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/1258/): 沖縄本島には、沖縄県以外の46都道府県の沖縄戦の慰霊碑が存在しています。沖縄戦には全国各地から部隊が集結し、沖縄戦を戦いました。今回は県の慰霊碑の一つ「山形の塔」を紹介します。 - [「歩兵第三十二連隊終焉の地碑」糸満市真栄里の戦争遺跡 終戦を知らずに戦った部隊の慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/1349/): 沖縄戦では終戦後も戦った部隊がいました。彼らは日本軍司令部の最後の打電が「最後まで抵抗を命じた」ため、沖縄戦終結だけではなく、日本の敗戦後も戦い続けました。その部隊の名は山形の「歩兵第32連隊」。今回は「歩兵第32連隊」がどのような部隊で、どのように降伏したのかを紹介していきます。 - [「白梅之塔」糸満市真栄里の戦争遺跡 女子学徒「白梅学徒隊」が祀られている慰霊塔](https://sensekisyokai.com/senseki/1435/): 沖縄戦では10代の学生が学徒隊として、多数日本軍に動員されました。 学徒隊は男子生徒だけではなく、女学生も多く動員され、激しい戦闘の中多くの従軍し青春真っ只中に多くの生徒が亡くなりました。女子学徒隊の一つ「白梅学徒隊」を紹介します。 - [「栄里之塔」糸満市真栄里の戦争遺跡 12,000柱の遺骨が祀られている慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/1471/): 終戦後、遺骨の回収が進まず、遺骨が野ざらしになっていたのを地元住民が手厚く葬った事例が数多くあります。今回紹介する、栄里の塔は真栄里の住民が戦後遺骨を集められた慰霊碑です。 - [「魂魄之塔」糸満市米須の戦争遺跡 戦後最も早く建立された慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/1546/): 糸満市米須周辺は沖縄戦の最終盤にかけて激戦になった場所です。 米須周辺でも多くの方が亡くなりました。戦後すぐ、周辺に散乱していた遺骨3万5000柱の遺骨を納めたのが、今回紹介する「魂魄の塔」です。尚、「魂魄の塔」沖縄で戦後最も早く建てられた慰霊塔です。 - [「轟の壕」糸満市伊敷の戦争遺跡 500人余りの人が避難していた軍民雑居の壕](https://sensekisyokai.com/senseki/1580/): 「県庁最後の壕」と呼ばれ、500人余りの住民が避難していた「轟の壕」。そしてここでも軍民混在の中、多くの住民が亡くなりました。一体壕の中はどうなっているのか、また避難した人はどのように生活していたのか、何故「沖縄県庁最後の地」と呼ばれているのか、様々な視点から「轟の壕」を紹介します。 - [「歩兵第八十九連隊玉砕終焉之地」糸満市字新垣の戦争遺跡 北海道の部隊の慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/1745/): 意外かもしれませんが、沖縄戦では都道府県出身別の出身者で沖縄県の次に2番目に多いのが、北海道です。なぜ北海道出身者が多かったのか、どのように沖縄戦を戦ったのか、沖縄戦では常に激戦の中を戦った北海道旭川の部隊「歩兵第89連隊」を紹介していきます。 - [「山城本部壕(サキアブ)」糸満市山城の戦争遺跡 ひめゆり学徒隊もいた陸軍病院壕 ](https://sensekisyokai.com/senseki/2231/): 糸満市伊原は病院壕が多く残っています。伊原周辺には多くの陸軍病院壕の機能が、うつされました。今でもそれらの病院壕は残っており、実際足を運んで見ることができます。その一つが陸軍病院の本部「山城本部壕」別名サキアブです。すぐ近くの「伊原第三外科壕」の上に建つひめゆりの塔は有名ですが、「山城本部壕」は訪れる人が少ないのが現状です。 「山城本部壕」にはどのような人がいたのか?本部壕なので、整備されていたのか?沖縄戦で何が起きたのか?など本記事で紹介します。 - [「伊原第一外科壕」糸満市伊原の戦争遺跡 ひめゆり学徒隊もう一つの外科壕](https://sensekisyokai.com/senseki/2287/): 「ひめゆりの塔」のすぐ近くにひめゆり学徒隊がいたもう一つの外科壕が「伊原第一外科壕」があります「ひめゆりの塔」とは対照的にひっそりと残る「伊原第一外科壕」ここでは沖縄戦時どのようなことが起きたのでしょうか?ひめゆり学徒隊は壕内でどのように活動していたのでしょうか?ひめゆり学徒隊の生存者の証言をもとに紹介していきます。 - [「ひめゆり学徒散華の跡」糸満市束里の戦争遺跡 沖縄本島最南端荒崎に建つ慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/2337/): 沖縄本島最南端の荒崎海岸。眼下には美しい海が広がっています。しかし荒崎海岸は沖縄戦当時血で染まりました。荒崎海岸にはアメリカ軍の攻撃から逃げるため、行き場を失った住民や日本軍が大勢押し寄せました。中には解散命令を受けたばかりの「ひめゆり学徒隊」の姿も。本記事では「荒崎海岸」で「ひめゆり学徒隊」の行動を中心に解説します。 - [「糸数アブチラガマ(糸数壕)」 南城市玉城糸数の戦争遺跡 全長270m600人以上の負傷兵がいた陸軍病院の分室](https://sensekisyokai.com/senseki/2535/): 糸数アブチラガマは、もともと日本軍の陣地壕且つ糸数集落の避難壕でしたが、戦線が南部に達すると南風原陸軍病院の分室なりました。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。1945年5月25日の南部搬退命令により病院が搬退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となりました。 その後、米軍の攻撃に遭いながらも生き残り、8月22日の米軍の投降勧告に従って、住民と負傷兵はガマを出ました。(アブチラガマHPより) 現在、壕は管理され入場料を支払えば、ガイド付きで壕の中に入ることができます。アブチラガマは証言も多く残っていることから、証言を元にアブチラガマの実相を紹介します。 - [「クラガー」と「山雨の塔」糸満市宇江城の戦争遺跡 第24師団終焉の地の壕](https://sensekisyokai.com/senseki/2638/): 糸満市宇江城にh「クラガー」と呼ばれる自然壕があります。「クラガー」は沖縄戦時には第24師団終焉の地となりました。師団の規模は約1万人。1万人の組織の最後がこの自然壕(ガマ)というのはあまり想像できませんが、沖縄戦では最後に自然壕で終焉を迎えた部隊が多くありました。第24師団は沖縄戦はどのように戦ったのか、そして「クラガー」や第24師団の慰霊碑「山雨の塔」について解説します。 - [「富盛の石彫大獅子」八重瀬町富盛の戦争遺跡 戦争の爪痕が残る沖縄最古の石獅子](https://sensekisyokai.com/senseki/2689/): 富盛(ともり)の石彫大獅子は村を守る村落祭祀上の獅子として県内で一番大きく、一番古い石獅子で県指定有形民俗文化財にしていされています。そんな村の大切な守り神も沖縄戦に巻き込まれました。本記事ではアメリカ軍が撮影した沖縄戦当時の石獅子の写真や今に残る石獅子を紹介します。 - [「ハーフムーンヒル」那覇市真嘉比の戦争遺跡 再開発で姿を消した沖縄戦の激戦地](https://sensekisyokai.com/senseki/2932/): 沖縄戦時激戦地であった「ハーフムーン」。今では再開発に飲み込まれ当時の様子からは大きく変わってしまいました。今ではここが戦場だったとわかる人はだいぶ少なくなってきているでしょう。今回は、激戦地の一つ「ハーフムーン」と現在に残る「ハーフムーン」の形跡について紹介していきます。 - [平和祈念公園内の「平和の礎」糸満市摩文仁の戦争遺跡 沖縄戦の全戦没者の名前が刻銘されている碑](https://sensekisyokai.com/senseki/2982/): 「平和の礎」は糸満市平和祈念公園内にあり沖縄戦に関連する全て(24万以上)の戦死者が一人一人国籍を問わず刻名されている碑です。その碑にはただ名前が刻まれているだけでなく、刻名者には家族がいて、恋人がいて、それぞれ生き様がありました。まさに生きた証です。「平和の礎」を見学することでさまざまなことを考えさせられることでしょう。 - [「糸洲第二外科壕」糸満市糸洲の戦争遺跡 ひめゆり学徒隊が勤務した埋もれかけている外科壕跡](https://sensekisyokai.com/senseki/3166/): 糸満市糸洲に残る「糸洲第二外科壕」この壕の存在は40年前と比較的最近で、証言もあまり残っていません。そして壕自体半分埋もれています。本記事では半ば埋もれかけた「糸洲第二外科壕」について解説します。 - [「アンディラガマ」糸満市真壁の戦争遺跡 千人壕と呼ばれた奥行きの広いガマ](https://sensekisyokai.com/senseki/3282/): 千人壕と呼ばれた奥行きの広いガマ「アンディラガマ」。ここには多くの住民と日本軍が入り、軍民雑居状態のガマでした。このような逃げ場もない極限状態の中、日本軍による虐殺強要などの証言が残っています。さらに沖縄戦が終結した7月後半にはアメリカ軍の火炎放射器による攻撃で多くの犠牲者がでました。 - [「沖縄師範健児之塔」 糸満市摩文仁の戦争遺跡 教師を目指し心半ばで戦没した男子学徒隊を祀る](https://sensekisyokai.com/senseki/3610/): 「人生の蕾のまま戦場に散った学徒兵」 この文は故「大田昌秀」沖縄県元知事の著『沖縄鉄血勤皇隊』の副題です。 人 - [「糸洲の壕(ウッカーガマ)」 糸満市伊敷の戦争遺跡 解散命令後も多くの生徒が生き残った「積徳学徒隊」のいた壕](https://sensekisyokai.com/senseki/3614/): 沖縄戦では多くの女子学徒隊が動員され、9つの女子学徒隊が結成されました。 ひめゆり学徒隊や白梅学徒隊も沖縄戦時 - [「第24師団第一野戦病院壕」 八重瀬町富盛の戦争遺跡 白梅学徒隊が看護隊として配属された壕](https://sensekisyokai.com/senseki/3676/): 沖縄本島南部、早咲きの桜が有名な八重瀬岳。 八重瀬岳は毎年1月後半から2月にかけて、多くの観光客が桜を見に訪れ - [「第二護郷隊之碑」 恩納村安富祖の戦争遺跡 10代半ばの地元少年兵で構成されたゲリラ部隊「第二護郷隊」の慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/4177/): 沖縄戦時、本島北部で秘密裏に地元少年で構成されたゲリラ部隊が存在しました。 その部隊の名前は「護郷隊」と言いま - [「特設警備第223中隊永岡隊慰霊之碑」 那覇市首里寒川町の戦争遺跡 地元の郷土部隊「永岡隊」を祀る慰霊碑](https://sensekisyokai.com/senseki/4440/): 沖縄戦では根こそぎ動員と言われ、地元沖縄の人たちも大勢召集され、多くの方が亡くなりました。 数多くある部隊の中 - [「沖縄師範学校の門柱跡」 今も弾痕が残る門柱 那覇市首里当蔵町の戦争遺跡](https://sensekisyokai.com/senseki/4593/): 多くの観光客が訪れる首里城公園。 南国らしいカラフルな花々に囲まれ、再建された琉球王国時代の建物が美しく並ぶ、 - [「小桜の塔と対馬丸記念館」対馬丸事件の悲劇を伝える施設と犠牲者を祀る慰霊塔 那覇市若狭の戦争遺跡](https://sensekisyokai.com/senseki/4760/): 沖縄戦が迫るなか、多くの沖縄県民が県外への疎開を余儀なくされました。 子どもたちもまた、家族と離れ、疎開船に乗 - [「第24師団第2野戦病院壕」豊見城市豊見城の戦争遺跡 グスク中腹に残る積徳学徒隊が従事した壕](https://sensekisyokai.com/senseki/4834/): 「第24師団第2野戦病院壕」は豊見城グスク中腹に築かれ、沖縄戦では積徳学徒隊(ふじ学徒隊)が負傷兵の看護に従事しました。野戦病院壕の歴史や学徒隊の看護活動、現在の見学情報、患者合祀碑を写真を交えながら「第24師団第2野戦病院壕」を当記事でわかりやすく解説します。 ## 固定ページ - [沖縄戦の戦争遺跡一覧【現地ガイドが発信】](https://sensekisyokai.com/): 沖縄戦の戦争遺跡一覧 太平洋戦争末期、激しい地上戦が行われた沖縄戦。甚大なる被害を受けた沖縄には、現在でも当時の戦争遺跡が数多く残っています。しかし80年が経過した今、沖縄戦と共に戦争遺跡が風化されています。当メディでは沖縄戦の継承を次世代につなぐため、沖縄戦の戦争遺跡から沖縄戦のことをわかりやすく紹介していきます。 - [沖縄戦の戦争遺跡一覧【現地ガイドが発信】](https://sensekisyokai.com/): 沖縄戦の戦争遺跡一覧 太平洋戦争末期、激しい地上戦が行われた沖縄戦。甚大なる被害を受けた沖縄には、現在でも当時の戦争遺跡が数多く残っています。しかし80年が経過した今、沖縄戦と共に戦争遺跡が風化されています。当メディでは沖縄戦の継承を次世代につなぐため、沖縄戦の戦争遺跡から沖縄戦のことをわかりやすく紹介していきます。 - [当メディアについて](https://sensekisyokai.com/about/): 目次 当メディア運営ノース 30代 沖縄県在住 当メディアをご覧頂きまして誠にありがとうございます。 出身は千 - [サイトマップ](https://sensekisyokai.com/sitemap/): ページ お問い合わせ サイトマップ プライバシーポリシー 当メディアについて 戦争遺跡一覧 沖縄戦の戦争遺跡一 - [沖縄戦についてわかりやすく時系列で解説【まとめ】](https://sensekisyokai.com/detail/): 沖縄戦の概要を時系列でわかりやすくまとめて解説。1945年のアメリカ軍上陸から首里攻防戦、南部撤退、日本軍の組織的戦闘終結までを初心者にも理解しやすく紹介します。住民を巻き込んだ地上戦の実態や約20万人が犠牲となった背景、現在も続く沖縄戦の課題についてもわかりやすく解説しています。 - 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[【沖縄戦おすすめの映画やドラマ8選】初心者でもわかりやすい映像作品を現ガイドが紹介](https://sensekisyokai.com/learn/video/): 住民を巻き込んだ凄惨な沖縄戦から80年。沖縄戦を風化させず、平和の大切さを学ぶには映像作品がおすすめです。沖縄戦の映画や沖縄戦のドラマを探している方へ。様々な立場から沖縄戦を描いた7作品を厳選紹介。本記事で紹介する映像作品はU-NEXTの無料トライアルで今すぐ視聴できます。 - [【31日間無料あり】今すぐ見たいおすすめの日本の戦争映画6選!太平洋戦争を映像で知る](https://sensekisyokai.com/learn/japanese-movies/): 戦後80年。戦争が遠くならからこそ、今を生きる我々は過去を振り返り、あの戦争とはなんだったのかを改めて知る必要があります。なかでも映画などの映像作品は、戦争を直感的に感じられる貴重な手段。とはいえ、戦争映画はたくさんあり、どれを観たらよいか迷う人も多いでしょう。そこで本記事では、「住民目線」と「兵士目線」のなどに分けて、おすすめの日本の戦争映画を紹介します。 ## 巡る - [~ ひめゆり学徒隊の足跡を辿る ~ 1日モデルコース](https://sensekisyokai.com/visit/himeyuri-model/): 沖縄戦関連の本やブログを見ると必ず出てくる「ひめゆり学徒隊」 彼女たちの悲劇はまさに沖縄戦(戦争)がいかにひど - [沖縄の戦跡を巡る観光モデルコース3選を現地ガイドが紹介【沖縄戦を学ぶ平和学習にもおすすめ】](https://sensekisyokai.com/visit/modelcourse/): 沖縄観光で戦争について学びたいけど、「どこを回ればいいの?」と迷っていませんか?観光の方に戦争遺跡を知って頂くため、レンタカー等でご自身で回れる戦争遺跡のモデルコースを3つ作成しました。「沖縄戦を初めて学ぶ方」「平和学習をしたい方」「修学旅行や社員旅行などで戦跡を巡りたい方」にわかりやすいよう作成しましたので必見です。 - [【沖縄の戦跡マップ地図】沖縄戦の戦争遺跡49ヶ所を地図でわかりやすく紹介](https://sensekisyokai.com/visit/note/): 沖縄戦では、沖縄本島の各地で激しい地上戦が行われました。 しかし実際には、 「沖縄戦はどこで戦闘があったの?」 - [ひとめでわかる沖縄戦の資料館・博物館一覧まとめ](https://sensekisyokai.com/visit/museum/): 住民を巻き込んだ凄惨な戦い沖縄戦。 沖縄戦の実相を知ることで、平和のありがたみを知り、戦争の愚かさを痛感します - [~ 読谷村に残る沖縄戦の戦争遺跡をめぐる半日モデルコース ~](https://sensekisyokai.com/visit/yomitan-modelcourse/): 1945年4月1日にアメリカ軍が上陸した読谷村には、上陸地点や北飛行場、ガマなど沖縄戦を伝える戦争遺跡が数多く残っています。本記事では、住民・日本軍・アメリカ軍それぞれの視点から沖縄戦初期の出来事を学べる、比較的訪れやすい戦跡を半日で巡るモデルコースとして紹介します。読谷村で戦跡めぐりをするなら必見です。 - [沖縄の戦跡巡り・観光での持ち物リスト 戦跡ガイドが教える8つの必需品](https://sensekisyokai.com/visit/tool/): 「戦跡巡りには何を持って行けばいい?」「沖縄観光ではどんな服装がいいの?」と悩んでいませんか。 沖縄は本土とは - [首里城周辺にのこる沖縄戦の戦争遺跡一覧](https://sensekisyokai.com/visit/syuri/): 琉球王国が約450年にわたり栄えた王府・首里。 首里城を中心に、華やかな王朝文化を伝える遺構や史跡が数多く残り ## カテゴリー - [戦争遺跡](https://sensekisyokai.com/category/senseki/) ## カラムカテゴリー - [お知らせ](https://sensekisyokai.com/column-cate/news/) ## 学ぶカテゴリー - [映像作品](https://sensekisyokai.com/learn-cate/movie/) - [書籍](https://sensekisyokai.com/learn-cate/book/) ## 訪れるカテゴリー - [モデルコース](https://sensekisyokai.com/visit-cate/modelcourse/)