
そこには知られていない
沖縄の姿があった
当ホームページをご覧頂きまして誠にありがとうございます。
戦跡(戦争遺跡)とは、
「戦争の痕跡、戦跡、戦蹟。戦争のために造られた施設や、戦争で被害を受けた建物などで、現在もそのままないしとして遺構が残っているものを含む」(wikipedia引用)としています。
当ホームページでは、沖縄戦の戦跡(戦後建立された慰霊碑も含む)をブログ形式で紹介していきます。
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戦跡(戦争遺跡)とは、
「戦争の痕跡、戦跡、戦蹟。戦争のために造られた施設や、戦争で被害を受けた建物などで、現在もそのままないしとして遺構が残っているものを含む」(wikipedia引用)としています。
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沖縄戦の戦跡(戦後建立された慰霊碑も含む)を
ブログ形式で紹介していきます。
平和を今に伝える戦跡
美しい海、青い空、深い緑。この美しい沖縄は76年前戦場になりました。 今の美しい景色とは対照に空は灰色になり、地上は赤く燃え、海は真っ赤に染まったそうです。現在、沖縄戦から75年経ち、沖縄に訪れる観光客の方で沖縄戦を意識している方は非常に少ないと思います。
しかし、沖縄には当時の戦跡が多く残り、戦争の悲惨さ、平和の大切さをひっそりと今に伝えています。この美しい景色の過去には悲しい歴史的かあったと言うことを少しでも感じて頂くとともに、是非沖縄を訪れた際は立ち寄ってみてください。
沖縄戦の戦跡一覧へ→

沖縄戦の概要
沖縄戦は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。 戦いは3か月に及び、アメリカ軍や日本軍だけではなく、地元の住民を巻き込んだ壮絶な戦いでした。沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされます。
沖縄戦の詳細はコチラ→

沖縄戦の戦跡
沖縄戦の戦跡をブログ形式で紹介していきます。
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