North Village 1987年生まれ 沖縄県在住
2019年に千葉から沖縄に移住してきました。以前はパラオ(主にペリリュー島)で戦跡ツアーのガイドをしておりました。
移住後は沖縄戦のガイド団体に所属。そのような経緯から、戦跡と観光、更に沖縄戦について独自に調べております。
戦後75年以上が経ち、沖縄戦も更に風化しておりおります。沖縄戦を次世代にどう繋いでいくのかが課題となっております。
沖縄に来られる方・県外の方や県内の方に少しでも「沖縄戦を知って頂きたい」という思いから、観光地としてあまり知られてない沖縄を独自に調べ、発信していきます。
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戦跡一覧
〜VOL24〜 糸満市真栄里の戦跡 山形県の慰霊碑「山形の塔」
沖縄本島には、沖縄県以外の46都道府県の沖縄戦の慰霊碑が存在しています。沖縄戦には全国各地から部隊が集結し、沖縄戦を戦いました。今回は県の慰霊碑の一つ「山形の塔」を紹介します。 -
戦跡一覧
〜VOL23〜 糸満市真栄里の戦跡 アメリカ軍司令官の死「バックナー中将戦死之跡…
日本軍の首里撤退で、「戦争は終わった」と楽観視していたアメリカ軍は南部撤退をした日本軍を制圧するため、損害も増えていき、何とアメリカ軍のトップの司令官が戦死するという、異常事態がおきます。今回は南部の激しい戦いで戦死したアメリカ軍司令官、バックナー中将の慰霊碑を紹介します。 -
戦跡一覧
〜VOL22〜 那覇市金城町の戦跡 戦死した学徒兵を祀る「一中健児の塔」
沖縄戦は学生達も戦場で戦い、そして多くの学生が命を落としました。沖縄県立第一中学校(現在の首里高校)の学生12歳から17歳は軍に動員され、従軍し290名の生徒が亡くなりました。秀才が集まる第一中学校の生徒はどのように戦争に動員され、どのような思いで戦ったのでしょうか。 -
戦跡一覧
〜VOL21〜 那覇市楚辺 那覇の中心にある戦跡「楚辺の陣地壕」
沖縄県庁や那覇市役所、大型デパート「りうぼう」がある、那覇の中心部の一角にも沖縄戦の戦跡が残っています。県庁や市役所から車でおよそ5分。賑やかな国際通りとは反対側にあり、細い路地の住宅街が広がっている那覇市楚辺の一角、城岳(グスクダケ)公園内に「楚辺の陣地壕」の跡があります。 -
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〜VOL20〜 那覇市首里 神聖な場所にひっそりと残る戦跡「弁々岳通信所」
首里城近くの「弁々岳」は那覇市の中で一番標高の高い場所にあります。一体は琉球王朝時代からの聖地で、今でも多くの礼拝所があります。沖縄戦当時、ここには通信所がありました。また首里の司令部に近いということもあり、激戦となりました。今回は「弁々岳通信所」を紹介します。 -
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〜VOL19〜 那覇市真地の戦跡 県庁などの行政機関が入っていた「シッポウジヌガ…
戦時中、県庁などは機能していたのでしょうか?そもそも県庁の建物は破壊されなかったのでしょうか?県庁などの行政機関は戦時中どのように機能していたのか、関連の戦跡とあわせて紹介いたします。