North Village 1987年生まれ 沖縄県在住
2019年に千葉から沖縄に移住してきました。以前はパラオ(主にペリリュー島)で海のガイドや戦争遺跡ツアーのガイドをしておりました。
移住後は沖縄戦のガイド団体に所属。
そのような経緯から、戦争遺跡と観光、更に沖縄戦について独自に調べております。
戦後75年以上が経ち、沖縄戦も更に風化しており、沖縄戦を次世代にどう繋いでいくのかが課題となっております。
沖縄に来られる方・県外の方や県内の方に少しでも「沖縄戦を知って頂きたい」という思いから、観光地としてあまり知られてない沖縄を独自に調べ、発信し、ご希望であれば直接戦跡へご案内します。
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戦争遺跡
〜VOL30〜糸満市字新垣の戦争遺跡 北海道の部隊「歩兵第八十九連隊玉砕終焉之地…
意外かもしれませんが、沖縄戦では都道府県出身別の出身者で沖縄県の次に2番目に多いのが、北海道です。なぜ北海道出身者が多かったのか、どのように沖縄戦を戦ったのか、沖縄戦では常に激戦の中を戦った北海道旭川の部隊「歩兵第89連隊」を紹介していきます。 -
戦争遺跡
〜VOL29〜糸満市伊敷の戦争遺跡 500人余りの人が避難していた壕「轟の壕」
「県庁最後の壕」と呼ばれ、500人余りの住民が避難していた「轟の壕」。そしてここでも軍民混在の中、多くの住民が亡くなりました。一体壕の中はどうなっているのか、また避難した人はどのように生活していたのか、何故「沖縄県庁最後の地」と呼ばれているのか、様々な視点から「轟の壕」を紹介します。 -
戦争遺跡
〜VOL28〜 糸満市米須の戦争遺跡 戦後最も早く建立された慰霊碑「魂魄の塔」
糸満市米須周辺は沖縄戦の最終盤にかけて激戦になった場所です。 米須周辺でも多くの方が亡くなりました。戦後すぐ、周辺に散乱していた遺骨3万5000柱の遺骨を納めたのが、今回紹介する「魂魄の塔」です。尚、「魂魄の塔」沖縄で戦後最も早く建てられた慰霊塔です。 -
戦争遺跡
〜VOL27〜 糸満市真栄里の戦争遺跡 12,000柱の遺骨が祀られている「栄里…
終戦後、遺骨の回収が進まず、遺骨が野ざらしになっていたのを地元住民が手厚く葬った事例が数多くあります。今回紹介する、栄里の塔は真栄里の住民が戦後遺骨を集められた慰霊碑です。 -
戦争遺跡
〜VOL26〜 糸満市真栄里の戦争遺跡 女子学徒「白梅学徒隊」が祀られている「白…
沖縄戦では10代の学生が学徒隊として、多数日本軍に動員されました。 学徒隊は男子生徒だけではなく、女学生も多く動員され、激しい戦闘の中多くの従軍し青春真っ只中に多くの生徒が亡くなりました。女子学徒隊の一つ「白梅学徒隊」を紹介します。 -
戦争遺跡
〜VOL25〜 糸満市真栄里の戦争遺跡 終戦を知らずに戦った「歩兵第三十二連隊終…
沖縄戦では終戦後も戦った部隊がいました。彼らは司令部の最後の打電が後まで抵抗を命じたため、沖縄戦終結だけではなく、日本の敗戦後も戦い続けました。その部隊の名は山形の「歩兵第32連隊」。今回は「歩兵第32連隊」を紹介していきます。