那覇市「おもろまち」 周辺はモノレールが通り、高層マンションが建ち並び、DFSには観光客が足を運ぶ。那覇市随一の都会「おもろまち」。
1日中賑わっているこの華やかな町も沖縄戦時には激戦地となりました。
この場所で沖縄戦時に今では想像もできない激しい戦闘「シュガーローフヒルの戦い」が行われました。
本記事では「シュガーローフヒルの戦い」を解説。今に残る「シュガーローフヒル」の跡地についても解説します。
沖縄戦の激戦「シュガーローフヒル」の戦いとは

現在の那覇市「おもろまち」周辺の丘は「嘉数高地」や「前田高地」同様、日本軍司令部のある首里を守る防衛ラインでした。
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現在の「メインプレイス」のショッピングセンター近くに、大きな貯水タンクがある小高い丘があります。当時この丘を日本軍は「安里52高地」アメリカ軍は「シュガーローフヒル」と呼んでいました。
攻撃を担当した大隊長がその丘の形を見て砂糖菓子(シュガーローフ)のようであったことから命名されたとされていわれている。※諸説あり
その他に地元では昔から慶良間諸島が見える丘(丘や頂上のことをチージという)ということで慶良間チージと言われていた。今はビルの中にある丘なので慶良間諸島は見えない
日本軍司令部のある首里周辺で、大規模な戦闘を繰り広げていた両軍。
アメリカ軍は予想以上に進軍が進まないことに焦り、首里西側から那覇方面に進出し、さらに日本軍司令部がある首里を後方から侵攻する計画をたてます。
進路の途中にあるのが、「シュガーローフヒル」、「ハーフムーンヒル」、の2つの丘と、それらの南側の馬蹄形斜面である「ホースシュー」でした。
日本軍は、それら三つの場所を一体化した防衛陣地を築いていました。

✔️シュガーローフ反対斜面にあるハーフムーンについてはこちらをご覧ください
それぞれの丘に日本軍は「独立混成第44旅団」約5,000名が配備され、地下は無数のトンネルによって結ばれ、物資や人員の補給など、互いに補いながらアメリカ軍を迎え撃つ強固な要塞となっていました。
日本軍は以下のような陣地を反対斜面(反斜面陣地)に作り、各高台と連携しアメリカ軍に対抗。
「反斜面陣地」は敵側から見て反対斜面に構築した陣地。「反斜面陣地」は敵側の観測がしずらく配置している軍の情報をわかりづらくする効果がある。また反対側の斜面などで砲撃などを受けずらいメリットなどもある。日本軍は「反斜面陣地」を首里周辺の高地に数多く構築しアメリカ軍を悩ませた。

アメリカ軍は「シュガーローフヒル」一帯(ハーフムーンなどを含む)をおさえることで、那覇への侵攻と首里の西側に出ることができます。逆に日本軍は「シュガーローフヒル」一体を取られると、首里防衛がきびしくなります。
「シュガーローフヒル」を巡って沖縄戦一の激戦となりました。
5月12日から始まった「シュガーローフヒルの戦い」は1週間で11回も占領主を変えるほどの激戦でした。
アメリカ軍が「シュガーローフ」を占領しても、周囲の高地から機関銃や迫撃砲による激しい反撃を受けます。反対に「ハーフムーン」を攻略しても「シュガーローフ」から攻撃されるため、一つの丘だけを制圧しても戦況は変わりませんでした。 さらに日本軍は地下壕で三つの高地を結び、夜になると兵力を補充して陣地を立て直しました。そのため昼間に占領したはずの丘を夜には奪い返されることが繰り返され、わずか一週間で11回も支配者が入れ替わる異例の戦いとなったのです。
それでも圧倒的に兵員・物量が勝るアメリカ軍は5月18日に「シュガーローフヒル」一帯を占領しました。
この戦いでアメリカ軍は、2662名の死傷者と1289名の戦闘疲労患者を出したと言われています。日本軍の損害は統計がないため明らかではありませんが、アメリカ軍を上回るかなりの数の死傷者が出ているのは間違いありません。
この戦いを制したアメリカ軍は那覇に侵攻。そして首里攻撃を有利に進めます。
首里の陥落も間近に迫りつつある中、この戦いの後、日本軍司令部は首里から南部に撤退することを決断します。
おもろまちに残る「シュガーローフヒルの戦い」の碑

この階段の先に案内板がある。
戦後この地は、アメリカ軍に接収され、住宅街になりました。その後1987年に全面返還され、再開発でホテル、タワーマンション、大型ショッピングセンターなどとても都会的な賑やかな町になりました。

再開発で既に戦場としての面影はなく、高台の貯水タンクの上にひっそりと冒頭画像の案内板があります。都会のど真ん中にある激戦地の跡。
すぐ目の前には華やかな都会の町が広がります。
街ゆく人に「ここで数千名の人が亡くなっているんだよ」と伝えてもきっと信じてもらえないほど、現在の街の雰囲気は華やかで戦場とは無縁の世界です。
そんな対照的な光景に、ここが激戦地だったということが風化されてしまうのではないかと懸念します。
今の平和に感謝しつつ、 都会に残る沖縄戦の激戦地を次世代に引き継いでいくことが大切です。

貯水タンクから首里方面を見ると、とても近いことが分かります。
【“戦い、そして、死んでいく” 〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録~】
文章だけでは、シュガーローフの戦いで兵士たちがどのような状況に置かれていたのかを想像するのは簡単ではありません。
そこでおすすめしたいのが、2023年にNHKで放映された
『戦い、そして、死んでいく ~沖縄戦 発掘された米軍録音記録~』
です。
この記録では、沖縄戦当時に実際に録音されたアメリカ軍第6海兵師団の肉声をもとに、シュガーローフの戦いを含む首里攻防戦の激しさが描かれています。
戦場で飛び交う砲撃音、兵士たちの緊迫した無線交信、極限状態で戦った人々の姿は、文章だけでは伝えきれない沖縄戦の現実を感じることができます。
日本側の記録が乏しいので、(ましてや日本兵の肉声は残っていない)とても貴重な資料です。
シュガーローフの丘を訪れる前や、この記事を読んだ後に視聴すると、当時この場所で何が起きたのかをより深く理解できるでしょう。
「日本兵がいたるところからマシンガンを撃ってきた」
「部隊は散り散りになりまさに大量殺人だ」
“戦い、そして、死んでいく” 〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録~より
現在本編はNHKオンデマンドやU-NEXTなどで視聴可能です。
✔️他の沖縄戦の映像作品はこちら
【シュガーローフヒル】
- 住所
- 沖縄県那覇市おもろまち1丁目6
- 駐車場
- 有料コインパーキングあり

