
都会のど真ん中、おもろまちの激戦地「シュガーローフ」

那覇市「おもろまち」 周辺はモノレールが通り、高層マンションが建ち並び、DFSには観光客が足を運ぶ。
那覇市随一の都会「おもろまち」。
1日中賑わっているこの華やかな町も沖縄戦時には激戦地となりました。
「おもろまち」周辺の丘は「嘉数高地」や「前田高地」同様、日本軍司令部のある首里を守る防衛ラインでした。
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地図引用:琉球朝日放送
現在の「メインプレイス」のショッピングセンター近くに、大きな貯水タンクがある小高い丘があります。
当時この丘を日本軍は「安里52高地」アメリカ軍は「シュガーローフの丘」と呼んでいました。
シュガーローフの意味
攻撃を担当した大隊長がその丘の形を見て砂糖菓子(シュガーローフ)のようであったことから命名されたとされてといわれている。※諸説あり
首里周辺で、大規模な戦闘を繰り広げていた両軍。
アメリカ軍は予想以上に進軍が進まないことに焦り、首里西側から日本軍司令部がある首里をせめる計画をたてます。
進路の途中にあるのが、「シュガーローフ」、「ハーフムーン」、の2つの丘と、それらの南側の馬蹄形斜面である「ホースシュー」でした。
3つの丘には日本軍の独立混成第44旅団約5000名が配備され、地下は無数のトンネルによって結ばれ、物資や人員の補給など、互いに補いながら、アメリカ軍を迎え撃つ、強固な要塞となっていました。
アメリカ軍は「シュガーローフ」一帯(ハーフムーンなどを含む)をおさえることで、那覇への侵攻と首里の西側に出ることができます。逆に日本軍は「シュガーローフ」一体を取られると、首里防衛がきびしくなります。
「シュガーローフの丘」を巡って沖縄戦一の激戦となりました。
5月12日から始まった「シュガーローフでの戦い」は1週間で11回も占領主を変えるほどの激戦でした。
5月18日にアメリカ軍は「シュガーローフ」一帯を占領しました。
この戦いでアメリカ軍は、2662名の死傷者と1289名の戦闘疲労患者を出したと言われています。日本軍の損害は統計がないため明らかではありませんが、アメリカ軍を上回るかなりの数の死傷者が出ていると思います。
この戦いを制したアメリカ軍は那覇に侵攻。そして首里攻撃を有利に進めます。
首里の陥落も間近に迫りつつある中、この戦いの1週間後日本軍司令部は首里から南部に撤退するのです。
ひっそりと残る「シュガーローフの戦い」の碑

この階段の先に案内板がある。
戦後この地は、アメリカ軍に接収され、住宅街になりました。その後1987年に全面返還され、再開発でホテル、タワーマンション、大型ショッピングセンターなどとても都会的な賑やかな町になりました。
再開発で既に戦場としての面影はなく、高台の貯水タンクの上にひっそりと冒頭画像の案内板があります。都会のど真ん中にある激戦地の跡。
すぐ目の前には華やかな都会の町が広がります。
街ゆく人に「ここで5000名ほどの人が亡くなっているんだよ」と伝えてもほぼ信じてもらえないと思うほど、現在の街の雰囲気は華やかです。
その対照的な光景に、ここが激戦地だったということが風化してしまうのではないかと思ってしまいます。
今の平和に感謝しつつ、次世代に繋げていきたいです。

貯水タンクから首里方面を見ると、とても近いことが分かります。
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【シュガーローフ】
- 住所
- 沖縄県那覇市おもろまち1丁目6
- 駐車場
- 有料コインパーキングあり
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