~VOL10〜 宜野湾市嘉数の戦争遺跡 沖縄戦屈指の激戦「嘉数の戦い」が行われ「嘉数高地」

※この記事には広告を含む場合があります

当サイトの記事には広告として、アフィリエイトプログラムが使用されています。アフィリエイトによって得られた収益は、より質の高い情報を提供するために当サイトの運営費に充てています。

当サイトの円滑な運営のため、読者の方にはご理解とご協力をよろしくお願いします。

子供たちがサッカーをして、公園の一角の鉄棒では初老の方が鉄棒で懸垂、ベビーカーに揺られながらうとしている赤ちゃんと、その赤ちゃんをあやすお母さん。

そんなどこにでもあるように公園一帯は沖縄戦当時、沖縄戦屈指の激戦地でした。

また公園の近くには沖縄戦時に広大なアメリカ軍基地「普天間基地」が建設されました。

平和の時間が流れる公園は戦争と全く関係なく無縁な場所のようですが、上空で「オスプレイ」が頻繁に通る光景はとても異様です。

過去と現在の沖縄がわかる「嘉数高台公園」を紹介します。

「いまいましい丘」と呼ばれた沖縄戦の激戦地嘉数高地。

普天間基地の直ぐ南側、宜野湾市嘉数には非常に見晴らしの良い高台があります。
日本軍の司令部がある首里への南下を防ぐため、日本軍はいくつもの固い陣地を嘉数に築いていました。


西海岸に上陸したアメリカ軍は南下をし、嘉数まで到達。ここを突破しないと司令部のある首里にたどり着けません。

双方の思惑が互いにぶつかり、この場所で双方の主力が初めて激突し沖縄戦屈指の激戦となりました。

日本軍は「反斜面陣地」と呼ばれる陣地を無数に構築し、アメリカ兵を苦しめました。その結果、この嘉数の丘をめぐる戦いは、1945年4月8日に始まり、16日間続きました。その間の戦傷者は約10万人と言われています。

解説:反射面陣地
敵が迫りくる斜面の前方ではなく、後方に設置した陣地の事。この陣地の場合、アメリカ軍は日本軍がどこから攻撃してくるかわからないため混乱に陥った。

この後の戦いでも「反射面陣地」がアメリカ軍を苦しめることになります。

この戦いに予想以上の苦戦を強いられたアメリカ軍は「火炎放射器」を使用し、このような陣地を徹底的に焼き尽くす作戦に転じます。

嘉数高地は「嘉数高台公園」になる、眼下に普天間基地が見渡せる。

現在、嘉数の丘は「嘉数高台公園として」整備され、市民の憩いの場所となっています。
また、公園内部には嘉数の戦いで使用された「トーチカ」(防御陣地)や、弾痕の跡が残っています。
こちらの公園の展望台からはからは普天間基地も一望でき、「オスプレイ」の発着も見る事ができます。

2024年1月現在、現在オスプレイの離発着はありません

嘉数高台公園は過去と今を考えさせられる公園です。

嘉数高台公園

住所
沖縄県宜野湾市嘉数1-5
駐車場
20台ほど(無料)

戦争遺跡の詳細を知りたい方、記事の内容が気になる方、
実際に案内して欲しいというご希望がございましたら、
是非お気軽にお問い合わせください。

OFUSEで応援を送る

収益は当サイトの運営費、
戦争遺跡調査代として活用させていただきます。