「ハーフムーン」はゆいレールおもろまち駅のすぐ近くにあった小高い丘のことです。(ありましたということはもうありません)
「ハーフムーン」は沖縄戦時アメリカ軍からの呼称で、丘の形が半月に見えたことからそう呼ばれました。
すぐ近くの「シュガーローフ」とともに、日本軍が陣地を構築しアメリカ軍に対し徹底抗戦した場所で、2つの丘を巡る戦いは苛烈を極めました。
「シュガーローフ」は一般的に「シュガーローフの戦い」と言われるように知名度は高いですが、「ハーフムーン」はそこまで知名度はあまり高くありません。
「シュガーローフの戦い」は「シュガーローフ」と近接する「ハーフムーン」で連携しアメリカ軍をおさえました。
実は「シュガーローフの戦い」で「ハーフムーン」は日本軍が首里から撤退する5月31日までアメリカ軍は攻略できなかった場所なのです。※シュガーローフは制圧されています。
そんな「ハーフムーン」も戦後80年近くが経過し、再開発の波にのまれていきます。
今回は、激戦地の一つ「ハーフムーン」と現在に残る形跡について紹介していきます。
✔️シュガーローフの丘についてははこちらをご覧ください
激戦地「ハーフムーン」の戦い
「ハーフムーン」は古くからウフドウムイ(大道森)と呼ばれ、沖縄式の古い墓が数多くあった小高い丘です。
日本軍側からのこの小高い丘のを戦史叢書(公刊戦史)で見ると「真嘉比」、八原参謀の手記「沖縄決戦」では「真嘉比東南側高地」表記されているのが確認取れました。
ちなみに大道という地名は今でも残っており、現在の安里駅からおもろまち駅の東側エリアをさします。
「ハーフムーン」は北部から侵攻し、那覇(最終的には司令部のある首里)を目指したアメリカ軍と激戦なりました。
日本軍は墓と墓を地下通路で繋ぎ、迷路のような陣地を構築。
1945年5月12日から始まった沖縄戦最大の激戦とも言われる「シュガーローフの戦い」は「ハーフムーン」や「シュガーローフ」を中心に激戦となりました。
すぐ近くの「シュガーローフ」と「ホースシュー」や首里高地と連携し、堅固な陣地を築き上げていきます。
日本軍は以下のような陣地を反対斜面(反射面陣地)に作り、各高台と連携しアメリカ軍に対抗しました。
「反斜面陣地」は敵側から見て反対斜面に構築した陣地のことです。「反斜面陣地」は敵側の観測がしずらく配置している軍の情報をわかりづらくする効果があります。また反対側の斜面などで砲撃などを受けずらいメリットがあります。日本軍は「反斜面陣地」を首里周辺の高地に数多く構築しアメリカ軍を悩ませた。
この戦いでアメリカ軍は、2662名の死傷者と1289名の戦闘疲労患者を出したと言われています。
日本軍の損害は統計がないため明らかではありませんが、多くの犠牲者がでたことは言うまでもありません。
この戦いを制したアメリカ軍は那覇に侵攻。そして司令部のある首里への攻撃を有利に進めます。
【“戦い、そして、死んでいく” 〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録~】
2023年にNHKで放映された【“戦い、そして、死んでいく” 〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録~】では「シュガーローフの戦い」を戦ったアメリカ軍第6海兵師団の兵士の肉声が公開されました。日本側の記録が乏しいので、(ましてや日本兵の肉声は残っていない)とても貴重な資料です。
兵士の慌ただしい口調や息遣いから緊迫した「シュガーローフの戦い」の様子がひしひしと伝わってきます。
「日本兵がいたるところからマシンガンを撃ってきた」
「部隊は散り散りになりまさに大量殺人だ」
“戦い、そして、死んでいく” 〜沖縄戦 発掘された米軍録音記録~より
現在本編はNHKオンデマンドやU-NEXTで視聴可能です。
戦後街に飲み込まれた「ハーフムーン」
「ハーフムーン」周辺は戦後の再開発で大きく姿が変わりました。那覇の新都心として、区画が整備された綺麗な街に変貌。
「ハーフムーン」にあった古いお墓も移転し、丘は姿を消しました。
最初私が「ハーフムーン」を調べた時はあまりの変貌に驚きました。普段何気なく通っていた大きな道は「ハーフムーン」をごっそり削った後に作られていたのです。
「ハーフムーン」が再開発で姿を消したのは2010年頃と比較的最近で、那覇の中心街でも少し前まで戦時中のまま地形が残っていたのです。
2008年放映のNHKアーカイブスでは「ハーフムーン」が残っていることが確認できます。
時の流れにのるようにかつての戦場は、平和な住宅街になりました。
残念な気もしますが、しかたないのかもしれません。本当に遺骨・遺品収集が終わったのかは疑問ですが…
当時の遺品が展示されている「真嘉比南公園」
「ハーフムーン」は姿を消しましたが、当時の様子がわかる場所が残っています。
綺麗な住宅街の中にある「真嘉比南公園」に「ハーフムーン」の案内板と、再開発の際に発見された遺品の一部が公園内に展示されています。
新しい住宅街の中に突然戦場の痕跡が現れます。
平成に入ってからの街中の開発でも遺骨や遺品がでてくるということは、戦後まもない頃、沖縄各地で多くの遺品が出たことは想像に難くありません。
普通の住宅街に戦場の遺品は不釣り合いですが、激しい地上戦があった沖縄ではこのような景色はよくあります。(公園内に弾痕の壁が展示されているなど)
再開発に飲み込まれた「ハーフムーン」。平和な公園や住宅街からは楽しそうな子供の声が聞こえてきます。
【ハーフムーン(真嘉比南公園)】
- 住所
- 沖縄県那覇市真嘉比1丁目13−15
- 駐車場
- 周辺に有料コインパーキングあり