富盛(ともり)の石彫大獅子は村を守る村落祭祀上の獅子として県内で一番大きく、琉球王国の尚貞王の時代1689年に設置された現存する最古の石獅子です。
村や集落の入り口、高台などに設置され、集落全体を災厄から守るための守り神のことです。屋根の上に置かれる一般的なシーサーとは異なり、多くは一体のみが置かれるのが特徴で、沖縄本島南部を中心に数多く残されています。
沖縄では各村に守り神として石獅子があった。
石獅子の説明板によると、この獅子が設置される前は火事が多かったようですが、獅子を設置したところ火事はおさまったそうです。
しかし村人を守ってきた石獅子も沖縄戦の戦火に巻き込まれてしまったのです。
沖縄戦に巻き込まれた「石彫大獅子」
以下の画像は1945年6月18日にアメリカ軍に撮影された石獅子の様子です。

説明によると、前方の尾根で敵の行動を観察する米第10軍第7歩兵師団の隊員とのこと
富盛周辺は日本軍の南部撤退により、(富盛前方にある)「八重瀬岳」を主陣地としていたので、激しい戦闘がおきました。
なお、この写真の説明の「前方の尾根」とは恐らく「八重瀬岳」のことで、石獅子から直線距離で500メートルしか離れていません。
写真のアメリカ兵は「八重瀬岳」にいる日本軍の行動を監視していたのでしょう。
富盛の石彫大獅子は戦争遺跡と文化財を同時に学べる貴重な場所

八重瀬町富盛の勢理(ジリ)城跡に「石彫大獅子」が残っています。
道中は集落内の道が狭く入り組んでいるため、「石彫大獅子」に辿り着くのにやや大変かもしれませんが、看板を目印に行くのが良いでしょう!
戦火をくぐりぬけた石獅子は今だに弾痕もありますが、立派に鎮座する姿は勇ましくまさに村の守り神です。

富盛周辺には八重瀬岳など、沖縄戦を語る上で重要な場所が点在しています。石獅子を見学した後に周辺の戦跡を巡ることで、「貴重な文化財」と「戦争によって傷ついた歴史」を一度に学ぶことができます。
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特に石獅子に残る弾痕を目の前にすると、地域の人々が長年大切に守ってきた文化や信仰にも大きな被害を与えたことが実感できます。
沖縄戦では多くの文化財や集落が失われました。その中で、富盛の石彫大獅子が現在まで残り続けていること自体が奇跡といえるでしょう。
戦前、沖縄には首里城正殿や守礼門など22の国宝があり、京都、奈良に続いて3番目に多かった。その多くが戦火によって消失し、現在は2つのみとなっている。
参考:琉球新報
現在も地域の人々によって大切に守られ、まさに村の守り神のように何百年も鎮座しています。
私には戦争にも負けず鎮座し続けた石獅子は「平和の象徴」にも見えます。
沖縄戦の戦跡はガマや慰霊碑だけではありません。富盛の石彫大獅子のように、地域の文化財を通して戦争の歴史を知ることも、沖縄の歴史を理解する大切な方法の一つです。
もう2度とあのような戦争が起きないよう石獅子にお願い&約束をした筆者でした。

【富盛の石彫大獅子】
- 住所
- 沖縄県島尻郡八重瀬町富盛22
- 駐車場
- あり
