沖縄本島最南端荒崎海岸。
海岸沿いの隆起珊瑚礁でできた地形はゴツゴツして固く、大袈裟に言うと月のクレーターのように小さなものから人が隠れらるようなものまで大小様々な窪みがあります。
その窪みの隙間からアダンやソテツが幹を伸ばし、綺麗なテッポウユリも咲き乱れ、そして眼下には広大で美しい海が広がっています。
解説:アダン
日本では沖縄で見かけることができる、熱帯地域の海岸付近に生育する植物。パイナップルのような身とタコアシ状の支柱根が特徴。
しかしその美しい荒崎海岸は沖縄戦当時血で染まりました。
荒崎海岸には沖縄戦末期、アメリカ軍の攻撃から逃げるため、行き場を失った住民や日本軍が大勢押し寄せました。
中には解散命令を受けたばかりの「ひめゆり学徒隊」の姿もありました。
本記事では「荒崎海岸」で「ひめゆり学徒隊」の行動を中心に、「荒崎海岸」までの行き方などを解説します。
「ひめゆり学徒隊」の行動については以下の記事もあわせてご覧ください。
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荒崎海岸では逃げ場を失い多くの人が亡くなる
沖縄戦末期、荒崎海岸を含む南部一帯は、日本軍の司令部(糸満市摩文仁)が近いこともあり住民を巻き込んだ激しい戦闘が行われました。
住民や日本軍はアダンや岩陰に身を潜めながら、とにかくアメリカ軍の捕虜にならないため必死に南へと逃げていきます。
証言を見るとどこにも行き場がなく、とにかく南部の海岸沿いに逃げ込む人が多かったようです。
6月18日に「山城本部壕」で解散命令がでたひめゆり学徒隊の生徒はそれぞれの壕の中にいることができくなくなったため、銃弾、砲弾の飛び交う中逃げ惑います。
しかし既に目の前の海上にはアメリカ軍の艦船で埋め尽くされ、逃げ場がありません。
アメリカ軍からは投稿するよう呼びかけがありましたが、当時「鬼畜米英」と言われたアメリカ軍に捕まると恐ろしいことをされると教えられていた生徒は投稿に応じません。
そんな中何とか逃げ切り、6月19日、引率教員2名と女子生徒12名が、荒崎海岸までたどり着きます。
荒崎海岸までの逃避行を生存者宮城喜久子さんが以下のように証言しています。
「早く泳いできなさい、みんな保護します」と。そしてもう手招きするんですよ。近くまで来て。そこにいたみんな、もうまた絶壁を、本当にあんな絶壁をよう登れたなと思います、登ってまたアダンの中に逃げたんですよ。もう悪魔の声ですよ。まさか助けるなんて誰も思わないですよ。殺されるか、またはひどいことされるとかね。そういうようなことしかみんなないです、住民もみんな。そしてみんな逃げて、その後から海に下りたりアダンの中をさまよったり、そうしてうろうろしているうちにたどり着いたのが荒崎海岸だったんです。
引用:NHKアーカイブス
6月21日、岩場に隠れた平良松四郎教諭引率のひめゆり学徒隊の生徒らは突然現れたアメリカ兵に自動小銃で攻撃され、混乱のなか、引率教員が手榴弾で自決し、10名が死亡、さらに米軍の自動小銃により4名が犠牲になりました。
次の瞬間、どこから現れたのか、米兵が私たちに自動小銃で乱射した。目と鼻の至近距離からだ。すごい轟音だった。あそこもパーン。こちらもパーン。
ひめゆり学徒隊、宮城喜久子さんの証言 引用:沖縄戦の全女子学徒隊より
ひめゆり学徒隊の生徒・住民・日本兵。
多くの方がこの荒崎海岸一体で追い詰められ亡くなっていったのです。
荒崎海岸に建つ「ひめゆり学徒散華の跡」
ひめゆり学徒隊の生徒・先生合わせて14名亡くなったその場所に「ひめゆり学徒散華の跡」があります。
「ひめゆり学徒散華の跡」碑の碑文は「岩陰に一筋の黒髪 乙女らの自決の地なり 波もとどろに」。
石版にはこの地で亡くなった学徒隊12名と教員2名の名前が刻まれています。
実際に宮城喜久子さんが隠れていた穴、先生・生徒10名が自決した窪地は当時のまま残っています。
旅行中にふらっと訪れる場所ではありませんが、時たま訪問者がいるので、(私が訪れた時は)花も置かれていました。
「ひめゆり学徒散華の跡」へ行くには「平和創造の森公園」から、舗装されてない道に入り、しばらく走ると学徒散華の跡(荒崎海岸)?と書かれている看板があります。周辺に広いスペースがあるので車を止めましょう。
ここから海外線に出ると1本道が続いており、迷うことはなく10分ほどで到着ですが、隆起珊瑚のゴツゴツした磯を歩いていくのでスニーカーがおすすめです!
転ばないよう注意して欲しいのと、日陰は全くないので熱中症には気をつけましょう。(本当に暑いです…)
今だに遺骨や遺留品が見つかる「荒崎海岸」
荒崎海岸は今でも遺骨収集が行われ、いまだに遺骨が発見されます。
もちろん遺骨が発見されるのは荒崎海岸だけではありませんが…
2009年の遺骨収集の際は、「ひめゆり学徒隊」の出身校の「第一高等女学校」の校章が発見されています。(誰のものかはわかっておりません。)
まだまだ岩陰やアダンの木の下には遺骨や遺留品が眠っているのは間違いないでしょう。
この地に立つと、「今でも戦争は終わっていない。」そう認識させられる場所です。
「ひめゆり学徒隊」の足跡を辿るモデルコースを以下記事で紹介しています。「ひめゆり学徒隊」の足跡を辿る事でより実相がわかりますので、是非色んな場所に訪れてください。
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【「ひめゆり学徒散華の跡」の碑】
- 住所
- 沖縄県糸満市束里
- 駐車場
- なしだが付近にスペースあり