〜VOL15〜豊見城市豊見城 海軍司令部があった「海軍壕公園」

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

冒頭の言葉は大田実海軍中将(沖縄戦での海軍司令官)が自決する前、海軍次官宛に発信した電報です。
当時の訣別電報のだった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉はなく、ひたすら沖縄県民の様子を訴えています。
現代語訳すると、「沖縄県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする」という訳になります。

沖縄での海軍の戦い

沖縄戦では海軍根拠地隊(海軍の地上部隊)が陸軍の第32軍の部隊の一部となっており、小禄半島周辺(現在の那覇空港)に展開しておりました。

大田実司令官は豊見城の司令部壕で指揮をとっていました。沖縄戦での海軍兵力は1万人ほど。船舶はありませんでした。

首里に司令部がある陸軍は首里周辺での戦闘が激化すると、1945年5月22日南部喜屋武半島への撤退を決めます。海軍も喜屋武半島の撤退を決めますが、命令の行き違いがあり、撤退がかないませんでした。
6月に入ると、司令部壕周辺で戦闘が激しくなり、海軍は司令部壕付近に孤立する状況となりました。

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6月4日にはアメリカ軍が小禄飛行場(那覇空港)の北部に上陸し、司令部壕のある那覇市南西部を包囲を開始。大田司令官は6日夕方に辞世の句とともに訣別の電報を打って自らの覚悟を伝え、同日夜に冒頭紹介した電報を打ちます。

その後も抵抗虚しく、司令部壕はアメリカ軍に囲まれて6月13日、拳銃で自決しました。また4千人ほどが壕内または周辺で亡くなったと言われています。

現在は「海軍壕公園」として整備

大田司令官が指揮をとった海軍司令部壕は戦後資料館となり、復元されました。一般財団法人の「沖縄観光コンベンションビューロー」が管理しているのとても綺麗に整備されています。

つるはしとスコップで造成された壕は、地下20メートルの場所に450メートルの長さがあります。壕内には約3,000人の将兵が昼夜5ヶ月間かけ、手掘りで掘った跡、手榴弾で自決した弾痕跡、大田司令長官が壁に書き残した文字などが残っており、当時の様子がわかります。

壕の入り口にはちょっとした資料館があり、資料室内には、銃器や軍服など壕内より発掘された遺品や家族へ宛てた手紙など、旧日本海軍についての資料を展示しています。

こんなに状態が良い戦跡も珍しいです。空港からも近いので、アクセスも大変良いので、是非訪問してみて下さい。

私と同郷の大田司令官。何故このような電報を送ったのか自分なりに考えてみたいと思いました。

【海軍壕公園】

住所
沖縄県豊見城市字豊見城236番地
駐車場
あり
電話番号
098-850-4055
定休日
なし
ホームページ
http://kaigungou.ocvb.or.jp/

お車でお越しの方は、公園周辺の道は狭い箇所が多いので気を付けましょう。