那覇から車で30分。沖縄本島の東側与那原町と西原町の境にある小高い丘「運玉森(ウンタマムイ)」
沖縄の方言で森は「ムイ」と呼ばれ、地形が高くなっている場所を表す言葉です。
その美しい稜線から地元では「西原富士」とも称されます。
日本軍は沖縄戦時、標高158.1メートルのことからこの山を「百五十八、一高地」と呼んでいました。
山と呼ぶには標高が低すぎるこの地が沖縄戦の激戦地になりました。
アメリカ軍から100万ドルの山と言われた「運玉森」

沖縄公文書館蔵

「運玉森」は日本軍の司令部がある首里を守る防衛戦の1つで、日米双方の激戦地となりました。
1945年5月半ばまでに、頑強な抵抗を続けていた日本軍でしたが、首里周辺の防御陣地はアメリカ軍に占領されました。
アメリカ軍は首里のすぐ東側にある小高い丘「運玉森」を次なる目標に定め進軍します。
5月13日アメリカ軍は「運玉森」へ攻撃を開始。
「運玉森」を奪われてしまうと日本軍は首里の側面から攻撃される恐れがあるため頑強に抵抗します。
運玉森を防衛していたのが、歩兵第89連隊。歩兵第89連隊は以下の記事でも紹介しています。
✔️あわせて読みたい
運玉森の案内板によるとアメリカ軍は、中城湾から激しい艦砲射撃を行いました。
その際に使用した弾薬の価格が100万ドルに値すると称されたため、アメリカ軍は「運玉森」を「100万ドルの山」と呼びました。
一般的に100万ドルの呼称って夜景や綺麗なものに使うイメージでしたが、戦場の例えで使用することに驚きました。「運玉森」が100万ドルの山と言われても全く嬉しくない表現ですね。
アメリカ軍の砲撃で与那原の市街地は壊滅。

首里防衛の最後の拠点とした日本軍は、激しい抵抗を続けますが5月20日(または21日)に完全にアメリカ軍の手に渡ります。
「運玉森」が陥落した頃、首里の日本軍司令部は南部撤退に向けて重大な決断をするのです。
【展望台が整備】現在は緑が美しい綺麗な「運玉森」

現在の「運玉森」は、戦場の面影はありません。
以前は登山道など整備されておらず、登山には適していませんでしたが、2024年に登山道が整備され頂上まで簡単に行けるようになりました!
与那原からは15分ほどで登山道の駐車場へ行けますが、道中細い農道を通るので道は複雑です。
ただし新しく設置されたであろう看板が目印になり、迷うことはありません。

駐車場も完備されているので、安心。その後264段の階段を登ります。
日陰もないため、熱射病対策は十分に。



頂上に登ると絶景が広がり、周囲はひらけてるため絶景が広がります。
さまざまな海の色が広がる中城湾。その先にはどこまでも続く太平洋。与那原方面の先には知念半島も見えます。東側には首里の稜線が見え、360度パノラマが広がります。以下頂上からの眺めです。



今は美しい山でも最近でも遺骨が見つかり、麓では慰霊碑や住居の壁に銃弾の跡が残ってることを忘れてはいけません。
✔️あわせて読みたい
✔️あわせて読みたい
沖縄にはたくさん丘や崖もありますが、そこも沖縄戦では激戦地だったのかもしれません。
【運玉森】
- 住所
- 沖縄県西原町・与那原町境
- 駐車場
- あり5台ほど