琉球王国が約450年にわたり栄えた王府・首里。
首里城を中心に、華やかな王朝文化を伝える遺構や史跡が数多く残り、沖縄を代表する観光地として知られています。
しかし首里には、もう一つの歴史があります。
80年前の沖縄戦では、日本軍第32軍の司令部が首里城の地下に置かれ、この場所から戦いの指揮が執られました。南部への撤退など、沖縄戦の重要な判断もここで下されています。アメリカ軍の激しい砲撃を受け、首里城正殿をはじめ多くの文化財や建物が失われました。
首里城周辺には今も沖縄戦の痕跡や慰霊碑が残されています。華やかな王国の歴史とともに、戦争の記憶が刻まれた場所でもある首里。本記事では、首里城周辺に残る沖縄戦の遺構を紹介します。
①第32軍司令部壕の案内板

世界遺産・首里城。その地下には、沖縄戦当時、日本軍第32軍の司令部壕が築かれていました。壕の総延長は1,000メートル以上に及び、出入口は5か所。日本軍は地下に広がる巨大な司令部壕から、沖縄戦全体の作戦を指揮していました。南部への撤退など、沖縄戦の重要な判断もこの司令部で下されました。
現在も首里城の地下には「第32軍司令部壕」の遺構が残っていますが、安全上の理由から内部を見学することはできません。しかし守礼門の近くには、司令部壕を解説する案内板や当時の関連遺構が残されており、沖縄戦の歴史に触れることができます。
華やかな王国の歴史を伝える地上の首里城とは対照的に、地下には戦争の記憶が刻まれています。現在、第32軍司令部壕は一般公開に向けた調査が進められており、将来的には平和学習の場として活用されることが期待されています。

看板のすぐ後ろには兵隊が身を隠す「掩蔽壕」の遺構も残されています。
第32軍司令部壕の案内板
- 住所:沖縄県那覇市首里真和志町1丁目龍潭池
- 駐車場:有料駐車場あり(首里城内の有料駐車場)
- およその見学時間:約20分
✔️第32軍司令部壕の案内板について詳しく解説
②一中健児の塔

首里城近くに建つ「一中健児の塔」は、沖縄戦で命を落とした沖縄県立第一中学校(現在の首里高校)の生徒たちを慰霊するための塔です。戦前の沖縄には21の旧制中学校がありましたが、沖縄戦ではそれらすべての学校の生徒が、法的な根拠もないまま戦場へ動員されました。
第一中学校の生徒たちは「鉄血勤皇隊沖縄一中隊」として編成され、当初は壕の構築や食糧確保、伝令、通信線の保守など後方支援にあたりました。しかし戦況が悪化すると、南部での激しい戦闘に巻き込まれ、切り込みや戦車への体当たりなど、直接戦闘を命じられることもありました。
塔の敷地内には資料館があり、犠牲となった学徒たちの写真や当時の行動を知ることができます。展示されている遺書には、軍国主義的な言葉と家族を思う言葉が交錯し、当時の若者たちの複雑な心境が伝わってきます。少しわかりずらいところにありがすが首里城や玉陵からも近いので、ぜひ足を運んでみてください。
一中健児の塔
- 住所:沖縄県那覇市首里金城町1丁目7
- 駐車場:あり
- 休館日:資料館土日祝日
- 料金:無料
- 見学可能時間:10時~17時
- およその見学時間:約40分
- ホームページ:https://youshu.com/ichugakutotai-tenjishitu/
- 連絡先:098-885-6450
✔️一中健児の塔について詳しく解説
③師範学校門柱の跡

首里城公園内にある人工池龍潭。
15世紀はじめの尚巴志によってつくられた龍潭のほとりにはかつて「沖縄師範学校男子部」がありました。
沖縄師範学校男子部は、戦前の沖縄で教師を養成する官立の教育機関で、大学のなかった当時の沖縄では最高学府の一つでした。県内各地や離島から優秀な学生が集まり、将来教師になることを目指して学んでいました。
しかし戦況が激しくなると、その日常は大きく変わります。1945年、学生と教職員386名は「師範鉄血勤皇隊」として動員され、教師を志していた10代の若者たちも戦場へ送り出されました。
沖縄戦によって校舎は壊滅し、現在残る遺構はわずかです。首里城公園近くに残る門柱には、今も弾痕が刻まれています。観光地のすぐそばに残るこの小さな遺構は、沖縄戦の激しさと、戦争に動員された学生たちの歴史を静かに伝えています。
第32軍司令部壕の案内板からも近いので一緒に訪れてみてください。
師範学校門柱の跡
- 住所:沖縄県那覇市首里真和志町1丁目龍潭池
- 駐車場:有料駐車場あり(首里城内の有料駐車場)
- およその見学時間:約10分
✔️師範学校門柱の跡について詳しく解説
④特設警備第223中隊永岡隊慰霊之碑

首里城近くにある安国寺は「永岡隊」に関する戦跡です。
「特設警備第223中隊」、通称「永岡隊」は、隊長を含め全員が沖縄出身という珍しい郷土部隊でした。隊長を務めたのは、住職や教員でもあった永岡敬淳大尉。那覇周辺の在郷軍人およそ240名で編成されました。
1945年5月から6月にかけて、部隊は首里城周辺の激戦に投入されます。アメリカ軍の火炎放射や黄燐弾など激しい攻撃を受け、多くの死傷者を出しました。さらに、日本軍第32軍が南部へ撤退する中、「最後まで首里を守れ」という命令により、永岡隊は包囲された首里に残されることになります。
現在、安国寺の境内には当時の壕跡や慰霊碑が残されています。ここを訪れると、郷土出身者だけで編成された部隊がたどった過酷な運命と、沖縄戦の記憶に触れることができます。
特設警備第223中隊永岡隊慰霊之碑
- 住所:沖縄県那覇市首里寒川町1-2
- 駐車場:あり(見学後は速やかにでましょう)
- 料金:無料
- およその見学時間:約10分
- ホームページ:https://www.taiheizan-ankokuji.com/
- 連絡先(安国寺):098-884-2735
✔️特設警備第223中隊永岡隊慰霊之碑ついて詳しく解説
⑤留魂壕
首里城公園の一角には、沖縄戦の戦跡「留魂壕(りゅうこんごう)」が残っています。
留魂壕は戦時中に首里城周辺で掘られた壕の一つで、沖縄師範学校の学生や関係者が利用した壕として知られています。 沖縄戦が迫る中、首里一帯は日本軍の重要拠点となり、地下には第32軍司令部壕が築かれました。その周辺でも多くの壕が掘られ、「留魂壕」もその一つです。
戦況が激しくなると、壕は空襲や砲撃から身を守る退避場所として使われ、学生や関係者の生活の場にもなっていきました。 また、壕の中では新聞が作られ、戦況を伝える情報発信の拠点としても利用されてきました。
現在、留魂壕の一部は首里城公園内に遺構として残されています。首里城のすぐそばに、突然現れる壕に驚きます。戦争の記憶が刻まれた場所があることを静かに教えてくれる戦跡の一つです。
留魂壕
- 住所:首里城正殿有料区域の出口「淑順門」付近
- 駐車場:有料駐車場あり(首里城内の有料駐車場)
- およその見学時間:約10分

