〜VOL19〜 那覇市真地の戦争遺跡 県庁などの行政機関が入っていた「シッポウジヌガマ」

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戦時中、県庁などは機能していたのでしょうか?
そもそも県庁の建物は破壊されなかったのでしょうか?

私も以前から戦時中の行政機関はどのようになっていたのか、そもそも機能していたのか疑問に思っていました。実は戦時中も国会は開かれていましたし、全国の行政も機能しておりました。

しかし、ここ沖縄では機能していたものの沖縄戦当時は、県庁などの行政機関は壕の中に移っておりました。

沖縄戦時県庁も壕の中にありました。

首里城からほど近い「識名霊園内」の壕内に、沖縄県の県庁はありました。この壕内には県庁だけではなく、警察部壕も併設されており、他の壕同様に自然にできたガマを利用し作られました。地元では「シッポウジヌガマ」と呼ばれております。

壕の全長は130メートルでそれほど広い印象は受けませんが、長期間の滞在も考慮し、二段ベッド・井戸・カマド・トイレも作られました。その他知事室や、警察部長室もあり畳も敷かれていたそうです。県庁壕らしく、施設は充実していたと言えるでしょう。

沖縄戦当時の県知事は「島田叡」知事(以下島田知事)。警察部長は「荒井退造」警察部長(以下荒井警察部長)。兵庫県出身の「島田知事」は沖縄戦開戦前夜の1945年1月に赴任し、その後沖縄戦の準備のため、米の確保・住民の避難・(今まで県と軍の関係は良くなかったが)軍との関係改善など、直ぐに行動にうつしました。

知事は着任後も空襲や艦砲射撃から逃れるため様々な壕を転々(県の機能も移動)としており、「シッポウジヌガマ」に辿り着いたのは、アメリカ軍上陸後の1945年4月25日でした。4月27日壕内では雨のように砲弾が降り注ぐ中、「荒井警察部長」や南部の市町村長が集合して壕内で会議が開かれます。会議は戦意高揚と食料確保などの戦場行政を決定。これが沖縄県政最後の市町村長会議となりました。

この間知事は、首里にある「第32軍司令部壕」を頻繁に訪れ、住民の避難について軍と協議していました。この頃になると、「第32軍」の南部撤退案がでてくるようになりましたが、「島田知事」は軍の南部撤退には住民の犠牲がともなうことから反対していました。

しかし、「島田知事」の叫びも届かず、5月末には「第32軍」は南部撤退を決定します。

それにあわせて、5月25日「島田知事」や「荒井警察部長」は壕を出て南部に向かいます。

この後の「島田知事」や「荒井警察部長」の行動については以下の記事をご覧ください。

実は最近、知事を取り上げたドキュメンタリー映画が上映されました。予告編を紹介します。

沖縄戦当時の「島田叡」知事の映画予告編『生きろ 島田叡-戦中戦後の沖縄県知事』

このように、近年島田知事が取り上げられる映画やマスコミが多いですが、行政官として軍隊に協力(当時は協力せざる得なかったことは言え)し、当時の男子中学生の名簿を提出しています。学徒戦闘員「鉄血勤皇隊」編成の一因になったり、知事が指導した北部疎開で多くの住民が餓死したことなど、沖縄では不信感を抱く意見も根強いことを忘れてはいけません。

これは全ての人に言えることですが、冷静に正確に知事が行ったことを知る必要があることです。

ひとたび地上戦が起きれば、(軍に協力せざる得ない状況になり)行政は国民の生命や財産を守れないということは沖縄戦から学べることではないでしょうか。

広大な「識名霊園」内にある「シッポウジヌガマ」

「識名霊園」は世界遺産の「首里城」や「識名園」の近くにある広大な霊園です。大小様々な沖縄式の亀甲墓が無数に設置されております。最初に訪れた際は、その数に圧倒されました。ただでさえ大きい亀甲墓が隙間なく設置されているのは、沖縄県内でも中々見れない光景です。

広大な墓地の中に「シッポウジヌガマ」を見つけるのは中々大変で、道も迷うし、泥にハマるし結構見つけるのに時間がかかりました。

最初に訪れる際は「識名園」などにある駐車場に泊めて「丸吉塩せんべい屋」を目指すのが良いでしょう。(もしせんべいを購入されるのであれば、店主に聞いて店の駐車場に止めるのもありかも)

「丸吉塩せんべい屋」の近くに「シッポウジヌガマ」の看板がありますので、看板を目印に墓地の中に入っていきます。

こういう貴重な遺産を是非、平和学習やダークツーリズムとして生かせないものかと常々考える筆者でした。

【シッポウジヌガマ】

住所
沖縄県那覇市真地
駐車場
なし
電話番号
なし

近くに駐車場はありませんので、お墓の駐車場から識名園の駐車場に止めましょう。

戦争遺跡の詳細を知りたい方、記事の内容が気になる方、
実際に案内して欲しいというご希望がございましたら、
是非お気軽にお問い合わせください。

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