– VOL20 -「弁々岳通信所」那覇市首里鳥堀町の戦争遺跡 神聖な「弁々岳」にひっそりと残る沖縄戦の戦跡

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ゆいレールの「首里駅」から徒歩10分ほどにある「弁々岳公園」。「弁々岳」は、現在では静かな公園として整備されています。

しかし、沖縄戦当時、この場所は首里を守る重要な高地の一つでした。

「弁々岳」には日本軍の電波警戒隊が配置され、「弁々岳通信所」と呼ばれるコンクリート製の通信施設も造られました。

1945年5月には、首里周辺へ進撃するアメリカ軍と日本軍の間で激しい戦闘が繰り広げられ、「弁々岳」も戦場となります。現在も公園の森の中には弁々岳通信所が残り、建物には当時の弾痕を見ることができます。

また、弁々岳は琉球王国時代から続く聖地でもあり、御嶽などの歴史的な場所も残っています。

本記事では、「弁々岳」がなぜ沖縄戦の戦場となったのか、そして現在も残る「弁々岳通信所」について紹介します。

「弁々岳」周辺は首里防衛のための激戦地

西に首里城を臨む標高166メートルの「弁々岳」は、沖縄戦時、首里城にあった日本軍の司令部を守る防衛の拠点でした。周辺(現在の「弁々岳公園」周辺)には、電波警戒隊が配備されました。

電波警戒隊は敵の無線通信などを傍受し、情報を収集する任務を担った部隊です。「弁々岳」のように周囲を見渡せる高地は、通信や情報収集の拠点として適していました。

電波警戒隊が配備されたのは、沖縄戦開始半年前の1944年10月で通信所の構築を行ったのはその年の12月。

その後沖縄戦が始まると「弁々岳」周辺は激戦となります。理由は「弁々岳」が日本軍の司令部首里に近い高地だったことです。

1945年5月半ば、日本軍第32軍は首里周辺に防衛線を構築し、アメリカ軍の南下を食い止めようとします。

「弁々岳」や周辺の丘はその首里防衛線の北側に位置し、周囲を見渡すことができる高地でした。アメリカ軍にとっては、首里へ向かって進撃するために、この一帯の高地を制圧することが重要でした。

一方、日本軍にとって「弁々岳」は、敵の動きを監視するだけでなく、首里周辺の防衛を支える重要な地点でした。

5月中ばアメリカ軍は「弁々岳」への攻撃を開始。その後も日本軍は抵抗を続け、5月20ごろアメリカ軍が「弁々岳」周辺を制圧します。

「弁々岳」周辺を制圧したアメリカ軍は首里攻略を進めていきます。日本軍はいよいよ首里を中心とする狭い陣地に頼らざるしかなくなっていきます。アメリカ軍の首里制圧も時間の問題となっていきます。

NHKのアーカイブスで沖縄戦時の「弁々岳」の様子を体験者が証言を紹介 ➡︎

「弁々岳公園内」にある「弁々岳通信所」

弁々岳通信所

「弁々岳」に電波警戒隊が配備されたことにより、通信所も造られ、今でも電波警戒隊の通信所跡が「弁々岳」に残っています。

大きさ自体は司令部壕などに比べてかなり小規模ですが、造りはコンクリート製で、壁の厚さは60センチと非常に分厚く、頑丈に造られているというのが分かります。

電波警戒隊は前述した通り、敵情報収集や味方情報発信などが主な任務でした。機密事項も扱う重要な任務を遂行することが多かったので、コンクリートなどで頑丈に防御された通信所が造られました。

現在「弁々岳通信所」周辺は公園として整備

現在、他の戦跡同様、公園として整備されていますが、子供の遊具などはなく、木々に覆われているのでどこか薄暗い印象はあります。また前述したように、ここは現在でも聖地のため、御嶽(うたき 礼拝所のこと)も多くあり、薄暗さと人の少なさがあいまってとても神聖な雰囲気がでています。

今まで沖縄で立ち寄った「聖地」と呼ばれる場所の中では一番神聖な雰囲気がでているような感じがしました。

また眺めが非常に良い場所なので、遠く東海岸の海を見渡すことができます。

神聖な「弁々岳」は大嶽と小嶽があり、大嶽の前には立派な石門があります。もともと存在した琉球王朝時代からの石門は沖縄戦破壊され、復元されたようです。

沖縄には戦前、貴重な遺跡・遺産が数多くありましたが、多くが沖縄戦で破壊されました。多くの遺跡を破壊する戦争は本当に憎いです。

そして大嶽の近くにあるのが、冒頭紹介した「弁々岳通信所」です。

うっそうとした森の中にあるので、冒頭の写真の通り、とても分かりづらいです。あたりに看板などはありません。写真を撮りに行った日はあいにく足元がぬかるんでおり、近くまで立ち寄れませんでした。少し遠くから写真を撮り、なんとかコンクリートの建物を収めることができました。

これまでに紹介した戦跡の中で一番ひっそりとしており、案内板なども何もないのが非常に残念でした。

首里近辺の戦跡を、例えば首里攻防の激戦地として紹介し、首里全体の戦跡を保存するなり、もう少し工夫が必要なのかなと思いました。

沖縄戦から80年。太平洋戦争がどんどん遠い出来事になっていくのを実感した日でした。

【弁々岳通信所】

住所
沖縄県那覇市首里鳥堀町4丁目
駐車場
なし

周辺は住宅街になっており、路上駐車は絶対にやめましょう。できるだけ公共交通機関で訪れましょう。

沖縄戦の戦跡の詳細を知りたい方、記事の内容が気になる方、
実際に沖縄戦の戦跡を案内して欲しいというご希望がございましたら、
ぜひお気軽にお問い合わせください。

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