沖縄本島の中央部は標高は高くないものの、高地がいくつもあり、起伏にとんでいます。
実際沖縄に住んでみると、意外と急な坂が多いという印象をうけます。また展望台や、見晴らしの良い場所も多い気がします。
琉球王朝時代には、見晴らしの良い高地に城(グスク)が造られ、沖縄戦時には陣地や指揮所が構築されました。
眼下に中城湾が広がる「戦闘指揮所」
沖縄本島東、中城村北上原にある消防学校の裏手の山一帯は、かつて161.8高地と呼ばれた陣地がありました。尚、世界遺産で有名な「中城城」は直ぐ近くにあります。「中城城」や「161.8高地」周辺は高台が広がっており、いたる所から本島東海岸の中城湾が見渡せます。
解説:161.8高地
標高161メートルにあることからこう呼ばれた。周辺は機関銃陣地や、それら各防衛拠点を結ぶ地下道や交通壕、地下退避壕、鉄条網、地雷原などで構成されていた。
その中の1つ「戦闘指揮所」を紹介します。
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1945年4月5日〜7日にかけて、司令部のある首里に本格的に侵攻を始めたアメリカ軍と日本軍は激しい戦闘を展開しました 。
「戦闘指揮所」の案内板によると、守備隊は圧倒的戦力の米軍に対し善戦し、翌6日も米軍の猛攻を7〜8回撃退しましたと説明しています。
しかし日本軍の損害も大きく、守備隊は6日の夜のうちに南側の142高地に撃退したため、161.8高地陣地をめぐる戦闘は終わりを迎えることになったそうです。
この戦いが、沖縄戦での初めての激しい戦闘だったと思われます。
アメリカ軍はほぼ無血上陸に近い形で上陸し、沖縄戦を比較的楽観視していましたが、本島中部にさしかかるころには泥沼の戦いが始まっていきます。この後、4月7日頃から沖縄戦最大の激戦の1つと言われる「嘉数の戦い」が始まります。
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現在の「戦闘指揮所」
消防学校近くの山の入り口から整備された遊歩道を進むと10分ほどで到着します。
「戦闘指揮所」手前20メートル程は草木が生い茂っているので、少し歩きずらいです。
少し場所がわかりづらいですが、「戦闘指揮所」の説明文の横に地下壕があり、上を見上げるとセメントと石灰岩を利用した「戦闘指揮所」があります。
「戦闘指揮所」からは視界を遮るものがなく、中城湾を見渡せます。戦闘を指揮する場所としては絶好の場所にあります。
現在、中城村は「戦闘指揮所」周辺を161.8高地陣地として史跡指定、整備を進めています。
しかし「戦闘指揮所」へ向かう道が道中生い茂っていたり、この山全体の入り口に案内板も見当たらなかったので、個人的にもう少し整備して欲しいと思いました。
戦跡は平和を未来に伝える大切な遺跡です。しっかり保存して欲しいと思います。
現在「戦闘指揮所」の近くまで行けますが、危険なので中には入れません。
戦闘指揮所
- 住所
- 沖縄県中頭郡中城村北上原910※消防学校の住所
- 駐車場
- なし
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