〜VOL13〜 与那原町・西原町の戦争遺跡 沖縄戦で激戦となった美しい稜線の丘「運玉森」

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どこにでもある綺麗な丘も戦場でした。

那覇から車で30分。
沖縄本島の東側与那原町と西原町の境にある小高い丘「運玉森」「ウンタマムイ」と呼びます。

沖縄の方言で森は「ムイ」と呼ばれ、地形が高くなっている場所を表す言葉です。与那原や西原のどこからでも見えるこの丘も戦場になりました。

ここも今まで紹介した首里を守る防衛戦の1つでした。

1945年5月の半ばまでに、頑強な抵抗を続けていた日本軍でしたが、首里周辺の防御陣地はアメリカ軍に占領されました。アメリカ軍は首里のすぐ東側にある小高い丘「運玉森」を次なる目標に定め進軍します。

運玉森を防衛していたのが、歩兵第89連隊。歩兵第89連隊は以下の記事でも紹介しています。

首里防衛の最後の拠点とした日本軍は、激しい抵抗を続けますが5月23日に完全にアメリカ軍の手に渡ります。「運玉森」が陥落する前、首里の日本軍司令部は重大な決断をするのです。

現在は緑が美しい綺麗な丘

現在の「運玉森」は、戦場の面影はありません。登ることもできるようですが、登山道は整備されていないのでオススメしません。しかし、西原町や与那原町のいたるところから見渡せます。

麓には激戦地の面影として、慰霊碑や住居の壁に銃弾の跡が残ってます。
「運玉森」を見たら「ここが戦場だった」と言うことを少しでも意識してみてください。

沖縄にはたくさん丘や崖もありますが、そこも沖縄戦では激戦地だったのかもしれません。

【運玉森】

住所
沖縄県西原町・与那原町境
駐車場
なし

丘の上まで行く道があるそうですが、急峻且つ草木が生い茂っているので、おススメしません。西原町・与那原町のどこからでも見渡せますので、麓から見てみましょう。

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