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戦争遺跡
〜VOL22〜 那覇市金城町の戦争遺跡 戦死した学徒兵を祀る「一中健児の塔」
沖縄戦は学生達も戦場で戦い、そして多くの学生が命を落としました。沖縄県立第一中学校(現在の首里高校)の学生12歳から17歳は軍に動員され、従軍し290名の生徒が亡くなりました。秀才が集まる第一中学校の生徒はどのように戦争に動員され、どのような思いで戦ったのでしょうか。 -
戦争遺跡
〜VOL21〜 那覇市楚辺の戦争遺跡 那覇の中心にある戦跡「楚辺の陣地壕」
沖縄県庁や那覇市役所、大型デパート「りうぼう」がある、那覇の中心部の一角にも沖縄戦の戦跡が残っています。県庁や市役所から車でおよそ5分。賑やかな国際通りとは反対側にあり、細い路地の住宅街が広がっている那覇市楚辺の一角、城岳(グスクダケ)公園内に「楚辺の陣地壕」の跡があります。 -
戦争遺跡
〜VOL20〜 那覇市首里の戦争遺跡 神聖な場所にひっそりと残る戦争遺跡「弁々岳…
首里城近くの「弁々岳」は那覇市の中で一番標高の高い場所にあります。一体は琉球王朝時代からの聖地で、今でも多くの礼拝所があります。沖縄戦当時、ここには通信所がありました。また首里の司令部に近いということもあり、激戦となりました。今回は「弁々岳通信所」を紹介します。 -
戦争遺跡
〜VOL19〜 那覇市真地の戦争遺跡 県庁などの行政機関が入っていた「シッポウジ…
戦時中、県庁などは機能していたのでしょうか?そもそも県庁の建物は破壊されなかったのでしょうか?県庁などの行政機関は戦時中どのように機能していたのか、関連の戦跡とあわせて紹介いたします。 -
戦争遺跡
〜VOL18〜 那覇市田原の戦争遺跡 住宅街にあるカテーラムイ(寿山)「巌部隊司…
那覇空港からモノレールで2駅にある小禄駅。そんな小禄駅から徒歩7分にあるのが、「巌司令部壕」です。壕内部の延長は350メートル。司令部・兵員室・暗号室などがもう設けられておりました。坑口は8か所あったと言われ、中は坑道が複雑に作られておりました。この地での海軍の戦いとあわせて、「巌司令部壕」を紹介します。 -
戦争遺跡
〜VOL14〜 那覇市首里の戦争遺跡 首里城に置かれた日本軍の司令部「第32軍司…
那覇市首里 首里城に置かれた日本軍の司令部「第32軍司令部壕跡」 沖縄戦当時、首里城地下には日本軍の司令部がありました。 沖縄戦当時、首里城の地下に豪を掘り司令部としていた日本軍は、ここから沖縄戦全体の指揮をとっていました。いわば日本軍沖縄守備隊の中枢にあたります。今回はこの第32軍の司令部跡を紹介します。