– VOL3 -「チビチリガマ」読谷村波平の戦争遺跡 多くの住民が集団自決したガマ

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突然ですが、「ガマ」を知っていますか?

「ガマ」とは沖縄に多く見られる石灰岩で形成された自然洞窟です。沖縄でも祈りの場所でも「御嶽」としても利用されました。

ガマは戦時中、逃げ惑う人々や地元の人の避難場所して利用しました。もちろん、ガマに逃げ込んで戦火を逃れ助かった人も大勢います。

しかし一部のガマでは住民が亡くなる悲劇の場所となったのです。

多くの住民が集団自決した壕「チビチリガマ」

ガマは一般的に沖縄南部にあるイメージが強いですが、沖縄県内至るところにあります。

沖縄本島中部、読谷村波平地区にある「チビチリガマ」もその1つ。

読谷村史によると川が流れるところに位置し、川が途切れるという意味から「チビチリ」となづけられた

1945年4月1日、沖縄本島西海岸に上陸したアメリカ軍は本島内陸部に侵攻していきます。

「チビチリガマ」等のガマには地元の住民多数(140名ほど)避難してました。

アメリカ軍が上陸した読谷の浜から1キロもない、この「ガマ」に上陸直後アメリカ兵はやってきました。

アメリカ兵は住民に投降を促しましたが、当時アメリカ兵に捕まると酷い仕打ちを受けると信じられていた住民は誰も聞きません。

反対に竹槍を持って反撃に出た住民もいました。竹槍で突っ込んでくる住民2名対し機関銃を撃ち、手榴弾を入り口に投げ込み、この衝突で2人が重症を負い、その後亡くなりました。

アメリカ軍の武器の威力はガマ内の住民を恐怖に陥れます。さらにガマはアメリカ軍に囲まれます。

この頃住民の一部から自決という選択肢がでたガマ内部では、「自決派」と「反自決派」で話し合いが行われましたが4月1日は結論がでませんでした。

混乱極まるガマ内部で4月2日に住民の一部で自決が行われると、その後アメリカ軍が洞窟内に入ってくると、混乱はピークに達しました。

住民がつけた火がガマ内に燃え上がり、息ができない住民は苦しみ自決する人が相次ぎます。

毒薬注射をする住民、更に注射液が尽きると、鎌や包丁などの刃物で肉親相互が殺し合うという惨劇が繰り広げられた。

洞窟から出て助かる人もいましたが、140名のうち83名の住民が亡くなりました。

悲惨な体験から生存者が口を閉ざし、「チビチリガマ」の真相が明らかになったのは戦後38年のことである。そして全犠牲者の約6割18歳以下の子供であった。『読谷村史戦時記録より』

集団自決にいたった背景の一つに捕虜になると、鬼畜と教えられたアメリカ兵に残虐な仕打ちをされると言ったデマや、捕虜になることを許さない当時の軍国教育にあります。

このように「ガマ」で亡くなった住民(もちろん兵隊も)が、今後戦線が南部に広がるにつれて増大していきます。

現在、チビチリガマ内部は立ち入り禁止に

「チビチリガマ」は読谷村の波平(なみひら)地区の海岸から600mほど内陸に入ったところにあります。少しわかりずらいのですが、駐車場もあります。

側の道路は交通量も多く、住宅街になっていますが、ガマに近づくと、鬱蒼とした森が広がっており、ガマはその森の中にあります。

「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」が建てられています。ガマ周辺は自由に見学できますが、遺族会の意思により内部へ入ることは禁止されています。

数年前に地元の少年達による、平和の象の破壊、修学旅行生が作った千羽鶴を引きちぎる、遺骨が集められた部分が荒らされるなどの被害をうけました。

その後、少年たちは保護観察処分を受けましたが、地元の保護観察プログラムの一環として「チビチリガマの平和の像」を制作した彫刻家の「金城実さん」からガマの凄惨な歴史を聞き、仏像制作に励みました。

「チビチリガマ」周辺の仏像12体はその少年達が作ったものです。

亡くなった人も苦しみながら死んでいき、生き残った人も凄惨な体験から苦しみ口を閉ざす。

二度とこんなことはあってはいけない。次世代に平和をつなぐため、戦跡の伝承、保護公開などますます重要になっていくと当地を訪れ実感します。

チビチリガマ

住所
沖縄県中頭郡読谷村字波平1153
駐車場
あり

チビチリガマはご遺族の意向により入壕が禁止されております。

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