戦争中、役所などの公的機関はどうなってしまうのでしょうか?やはり戦争中ということで、閉鎖しまうのでしょうか?
戦争中の公的機関は、戦闘が激しくなるまでは通常通り機能しており、だんだん激しくなってくると壕の中や頑丈な建物に移動してようです。
沖縄戦でも各公的機関は壕の中に移動し、戦闘が激しくなるまで業務を行なっておりました。
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戦時中、県庁や市町村役場も壕の中にありました。
県庁や市町村役場では、1944年10月の那覇空襲以降、重要書類を保管する壕の構築が進められました。
人工的に掘った横穴壕やガマの内部に手を加えたもの、あるいは井戸などもありました。
今回はその中の1つ、「旧西原村役場壕」を紹介します。
「旧西原村役場壕」は西原町学校給食共同調理場の隣にあり、少し小高い丘に横穴を掘削した人工壕です。この場所に、戸籍簿や土地台帳など重要種類を保管していました。
職員は朝この壕から書類を持ち出し、近くの役場で仕事をし、夕方またこの壕に戻していたそうです。
尚、役場業務はアメリカ軍が沖縄本島に上陸した1945年4月直前まで行われていたました。
首里の直ぐ東側にある西原町は激戦地として知られていますが、役場周辺も大規模な戦闘が行われたのは間違いありません。
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その後1985年に壕の発掘調査をしたところ、人骨片や出納簿・公印などの業務に必要なもの、更には重さ1トンの金庫も出土しました。
現在壕は西原町が整備し一般公開されている
現在は西原町が整備し、壕は平和学習に利用されています。
尚、壕のすぐ近くには沖縄戦の慰霊碑がいくつも建立されており、この壕と一緒に立ち寄るのがおすすめです。
※壕の中には入れません。
慰霊碑の1つ「西原の塔」を紹介します。
西原の塔は、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争等の戦場で亡くなられた英霊を祀るために、昭和16年頃、当初、「忠魂碑」と称して建立されました。
戦後、沖縄戦で亡くなられた兵士や村民の遺骨を収集し、この地に納骨し、現在までには7000柱を超す遺骨が納骨されています。この数は地元の住民だけではなく村外出身の方や兵隊の方も含まれているとはいえ、住民の約47%が戦禍で亡くなった西原での戦いがいかに激しかったがわかるかと思います。
その他「歩兵第89連隊丸地大隊戦没者慰霊碑」など、この場所には慰霊碑がいくつもあるので、是非ご覧になってください。
西原付近で激戦を戦った歩兵第89連隊について別記事で紹介しています。あわせてご覧ください。
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西原町は有名な観光地が少なく、あまり観光客は訪れませんが、戦跡は数多く残っております。有名な「首里城」や「中城城」も近いので、慰霊もかねてぜひ立ち寄ってみてください。
【旧西原村役場壕】
- 住所
- 沖縄県中頭郡西原町翁長320
- 駐車場
- あり(近くの西原の塔)
- 電話番号
- なし