
1945年4月1日圧倒的戦力でアメリカ軍は沖縄本島西部に上陸しました。
アメリカ軍は今の北谷町から読谷村にかけて南北約20キロの長大な海岸線に上陸。
広大な範囲に上陸していることから、米軍の上陸のモニュメントは複数存在します。
今回はアメリカ軍上陸地点の一つ、読谷村渡具知にある「米軍上陸の地の碑」を紹介します。
読谷村渡具知海岸にかけてアメリカ軍上陸
アメリカ軍は1945年4月1日、北谷の海岸から読谷村渡具知海岸にかけて上陸作戦を開始しました。
北谷から読谷にかけて上陸した理由は、上陸後沖縄本島を南部と北部に二分できることや、読谷には滑走路があったこと、また攻撃を支えるために必要な物資の荷下ろしができる、大きな浜があったことがあげられます。
日本軍が沖縄本島中部から南にかけて持久作戦をとる方針であったため、反撃は散発的で、アメリカ軍はその日のうちに6万人が揚陸しました。
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とはいえ、日本軍も上陸地点にかけて部隊が配備され、戦闘も実際に起こっています。
日本軍は「特設第1連隊」と「独立歩兵第12大隊(賀谷支隊)」という部隊が上陸地に配備されていました。
「特設第1連隊」という名称ながら、その基幹は飛行場(北、中飛行場)の建設・維持管理、飛行支援を担当する部隊であり、編成されたのはアメリカ軍上陸直前の3月20日であったことから、装備や戦闘訓練等は不十分でした。
人数は2000名ほどいましたが(中には少年兵もいました)、急造の部隊と言って良いでしょう。
「特設第1連隊」は人員・装備とも十分なアメリカ軍何万人を相手しなくてはならず、アメリカ軍上陸後すぐに壊滅していまます。
読谷村の「米軍上陸の地の碑」

上陸地点の中心となった比謝川河口付近の丘上には北谷馬場公園のモニュメント同様、「米軍上陸の地の碑」があります。
モニュメントが設置してある高台からは、北谷方面への海岸線が見渡せる非常に眺めの良い景色が広がってます。休日になると北谷の「馬場公園」同様、家族連れや旅行客で賑わいます。
BBQの施設が整っていたり、とても雰囲気が良いです。
北部の有名な観光地に行く道中にありますので、休憩がてら立ち寄っても良いでしょう。

当時、この海岸線一帯にアメリカの艦船が押し寄せる光景を目の当たりにした当時の住民は、恐怖と不安を感じた事は容易に想像できます。
アメリカ軍の中には日本軍の抵抗が少ないことから、沖縄を早期に制圧できると考えていました。ここから住民を巻き込んだ凄惨な沖縄戦が始まっていくのです。
美しい海が二度と戦艦で埋め尽くされることがないよう祈るばかりです。
【米軍上陸の地の碑】
- 住所
- 沖縄県中頭郡読谷村字渡具知228
- 駐車場
- あり