ゆいレールの「首里駅」から徒歩10分ほどにある「弁々岳公園」。
首里城とは反対の方向なので、観光客で訪れる方は非常に少ないと思いますが、「弁々岳公園」周辺は琉球王朝時代、国家的な祭事を行う非常に重要な聖地でした。
園内にも、当時を偲ばせる史跡や御嶽が残っており、聖地だということがわかります。
その聖地も首里から近いということもあり、沖縄戦当時周辺は激戦地でした。園内にはひっそりと戦跡が残っております。
「弁々岳公園内」にある「弁々岳通信所」
「弁々岳」周辺(現在の「弁々岳公園」周辺)は沖縄戦当時、電波警戒隊が配備されました。
電波警戒隊はその名の通り、敵情報収集や味方情報発信などが主な任務でした。機密事項も扱う重要な任務を遂行することが多かったので、コンクリートなどで頑丈に防御された通信所が造られました。
「弁々岳」に電波警戒隊が配備されたことにより、通信所も造られました(以下弁々岳通信所)。
大きさ自体は司令部壕などに比べてかなり小規模ですが、造りはコンクリート製で、壁の厚さは60センチと非常に分厚く、頑丈に造られているというのが分かります。
首里防衛のための激戦
電波警戒隊が配備されたのは、沖縄戦開始半年前の1944年10月で通信所の構築を行ったのはその年の12月。
「弁々岳」は那覇で最も高い、標高167メートルもあり、通信任務には最適な場所だったのでしょう。
沖縄戦が始まると「弁々岳」周辺は激戦となり、アメリカ軍は5月12日「弁々岳」を攻撃し、日本軍も徹底抗戦しましたが、5月20日に制圧されました。制圧するのに1週間かかっているのと、「弁々岳通信所」の入り口には当時の弾痕が無数にあり、いかに激戦だったのかがわかります。
尚、この戦いには電波警戒隊も通常任務ではなく、歩兵として参戦しています。
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現在は公園として整備
現在、他の戦跡同様、公園として整備されていますが、子供の遊具などはなく、木々に覆われているのでどこか薄暗い印象はあります。また前述したように、ここは現在でも聖地のため、御嶽(うたき 礼拝所のこと)も多くあり、薄暗さと人の少なさがあいまってとても神聖な雰囲気がでています。
今まで沖縄で立ち寄った「聖地」と呼ばれる場所の中では一番神聖な雰囲気がでているような感じがしました。
また眺めが非常に良い場所なので、遠く東海岸の海を見渡すことができます。
神聖な「弁々岳」は大嶽と小嶽があり、大嶽の前には立派な石門があります。もともと存在した琉球王朝時代からの石門は沖縄戦破壊され、復元されたようです。
沖縄には貴重な遺跡・遺産が数多くありましが、多くが沖縄戦で破壊されました。多くの遺跡を破壊する戦争は本当に憎いです。
そして大嶽の近くにあるのが、冒頭紹介した「弁々岳通信所」です。
うっそうとした森の中にあるので、冒頭の写真の通り、とても分かりづらいです。あたりに看板などはありません。写真を撮りに行った日はあいにく足元がぬかるんでおり、近くまで立ち寄れませんでした。少し遠くから写真を撮り、なんとかコンクリートの建物を収めることができました。
これまでに紹介した戦跡の中で一番ひっそとしており、案内板なども何もないのが非常に残念でした。
首里近辺の戦跡を、例えば首里攻防の激戦地として紹介し、首里全体の戦跡を保存するなり、もう少し工夫が必要なのかなと思いました。
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本記事を執筆したのが2021年12月1日。
真珠湾攻撃から80年たとうとしています。太平洋戦争がどんどん遠い出来事になっていくのを実感した日でした。
弁々岳通信所
- 住所
- 沖縄県那覇市首里鳥堀町4丁目
- 駐車場
- なし
周辺は住宅街になっており、路上駐車は絶対にやめましょう。できるだけ公共交通機関で訪れましょう。